隠退牧師の徒然記<667>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)時<667>
2022年12月12日「個人的なOUTLOOKを持ちながら」

聖書の言葉
年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっている、このパウロが、監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、頼みがあるのです。 (フィレモンへの手紙1章9節)


キリスト教の牧師は、やはり教会の歩みの中で職務を全うするのであり、社会的には関りがないと思われる。しかし、牧師と言う立場で社会の中で活躍することもある。カルト集団からの救済活動をしている牧師、薬物依存症の人たちに寄り添う牧師、路上生活者を見回る牧師等、社会的な活動を牧師として推進しているのである。むしろ、公的な場所から牧師の存在を求められる場合がある。それは刑務所や少年院の教誨師の勤めである。私が教誨師の勤めを担うようになるのは、1994年から2010年までの16年間である。八王子医療刑務所、神奈川医療少年院を同時に勤めることになる。刑務所は教誨師として、少年院は篤志面接委員としてであり、いずれも牧師としての立場で臨んだのである。刑務所は宗教教誨の取り組みが行われている。受刑者が宗教の教えを示されつつ更生し、社会復帰を目指すのである。そのため宗教教誨として仏教、神道キリスト教教誨があり、受刑者は希望する宗教教誨を受けることができる。グループ教誨であり、毎回5、6名が参加していた。持ち時間は1時間であり、最初の30分は聖書に基づきキリスト教のお話をする。讃美歌を歌い、お祈りもする。後の30分は質疑応答の時としていた。聖書は順番に読んでもらうことにしていた。結構大きな声で読む人もいたのである。質疑では、出所したら教会に出席したいが、それが出来るのかとの問いも。もちろん、喜んでお迎えしますよ、とは言っているのであるが。はたして教誨を受けた人が、教会に出席したのかどうか。
教誨の一環としてクリスマスを体験してもらいたいと、刑務所でクリスマスの集いを企画したのであった。教会には数人の音楽家がいるし、遊びの名人もいるので、一同で訪問したのであった。しかし、その訪問にしても、あらかじめ名簿を提出し、いわば身分証明を提出してのことであった。キリスト教教誨でもカトリックプロテスタントがあり、当日はカトリックの神父さんにお話をしてもらったのである。そして大きな輪になってゲームをすることで、随分と和やかな気分になったであろう。刑務所でクリスマスの集いをしたことはこの時だけで、続けられなかった。
教誨師を退任することになったのは、今までの教会の勤めを退任したからである。横浜に転居することになり、八王子までの往復は大変であるので辞することに。16年間、教誨師のつとめは、教誨を心から望んでいる人たちなので、胸を張って赴いたものである。その意味でも喜びの勤めであったが、一つだけ、悔やんでいることがある。ある年、クリスマスを迎えたので、そのような内容にすることにした。クリスマスにはローソクを灯して、イエス・キリストの明るい光を示すことでもある。さらに、通常は平服そのものなので、クリスマスには牧師としてガウンをまとったのである。その集会が終わったとき、一人の受刑者が、「裁判官みたいですね」と言うのであった。この言葉を聞いて、配慮がなったことで、つくづくと反省したのであった。教誨を受けた皆さんは、その後どうしているのだろう。

文中に関する写真がないので、待降節の講壇を思い出して。

noburahamu2.hatenadiary.org