隠退牧師の徒然記<666>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)時<666>
2022年12月5日「もう少しOUTLOOKを続けると」

聖書の言葉
わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。 (ヨハネによる福音書10章16節)

キリスト教の信者は教会に所属し、その教会で信仰が養われ、成長していくのである。そのため教会の礼拝をはじめとする諸集会に出席し教会員の交わりを進めていくのである。そのような信仰の歩みにおいて他の存在は関係ないように思えてくるのである。しかし、他の存在を覚えることも信仰生活の前進にもなるということである。その意味でも、今までもいくつかのOUTLOOKを見てきたのである。赴任した教会は以前から教会と関りのある施設を覚えていた。教会の婦人会は施設の利用者の皆さんの繕い物の奉仕をしていた。ミシンや裁縫道具持参で施設に出向く。利用者の皆さんの繕い物をすること、ほぼ一日を要することも。年末年始になるとオープンハウスと称し、教会の皆さんが施設の利用者を自宅に招くのである。ほぼ一日、利用者と共に自宅で過ごすのであった。そのような関りがあるので、いつも施設の歩み示されていたのである。OUTLOOKとして青年の闘病を示されたこと、キャラバンと称して福島県にある教会にペンキ塗りや草刈りに出かけたこと、教会学校の子どもたちが「花の日」に病院を訪問し、入院患者をお見舞いしたことなどを示された。加えて、もう少しOUTLOOKを続けると、これまた、説明が長くなりそうである。
赴任した教会は綾瀬市座間市、海老名市のほぼ三市にまたがる位置に存在していた。従って、教会に来られる皆さんは三市のいずれかに居住されている。もう少し、広い範囲で教会の活動をしてみようと厚木市大和市を視野に入れていた。そういう中で大和の鶴間伝道が導かれてくる。この活動は教会より個人的な活動でもある。元牧師であった人が信徒になって教会生活をしていたが、再び牧師になり、どこかで活躍することを願う。大和市に住む教会員が居住地の鶴間伝道を願っていたので、1986年から鶴間集会が始められたのである。教会の皆さんも時には参加していた。その後、牧師に帰り咲いた方は福島県の教会に赴任することになり、鶴間集会は3年間の活動であった。その牧師の教会にワークキャラバンが訪問したということである。そして今度は座間集会が始まる。この集会が始まるのは1994年である。教会員の婦人が、自宅を開放してハンディキャップを持たれる人の居住施設としたのである。その中に活動の部屋があり、週日に空いている日に集会を持つことにしたのである。そして、おりしも教会には副牧師が存在するようになっており、その牧師を中心にして集会が開始されたのである。しかし、その座間集会も中心となっていた教会の副牧師が他の教会に招かれたので、結局、2年間の活動であったが撤退したのである。
「もう少しOUTLOOKを続けると」ファミリクリスマスがある。綾瀬市座間市、海老名市の中にある超教派の教会が集まり合同でクリスマス集会を開いたのである。第一回は1994年12月10日で海老名のザ・ウィングスと言う集会場で開催。600名が出席する、第二回は1995年12月2日、綾瀬市の文化会館で開催され、700名が出席している。この時にはドレーパー記念幼稚園の園児の皆さんがクリスマスページェントを演じている。まだ他にもあるが、このくらいにしておこう。

地区の生徒大会で、みんなで礼拝。
生徒大会で、出エジプトをテーマにモーセの役を演じたりして。

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