隠退牧師の徒然記<641>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<641>
2022年6月13日「いろいろな日を示されながら」

聖書の言葉
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか。(マタイによる福音書6章30節)


このところキリスト教の教会歴に関わって記している。クリスマス、イースターペンテコステ等である。前週の6月5日は聖霊降臨日、ペンテコステであった。そして、次の日曜日6月12日は三位一体主日である。キリスト教の神様は「父なる神、子なるキリスト、導きの聖霊」なのである。神様が三人いるようであるが、神様を三様に言い表すことが出来るということである。キリスト教はこの三つの祝祭日を中心にして一年を歩んでいるのである。このような教会歴と共にそれぞれの意義を示される礼拝がある。1月1日はカレンダーの始まりであるが、キリスト教の礼拝においても一年の歩みを祈りつつささげるのである。2月11日は週日であるが「建国記念の日」である。しかし、キリスト教では根拠のない建国ではなく、「信教の自由を守る日」としている。その他、一つ一つの説明を省くが、今年の日程として、5月8日は「母の日」、5月29日-6月4日は「アジア・エキュメニカル週間」、6月12日は「こどもの日・花の日」、8月7日は「平和聖日」、10月2日は「世界聖餐日、世界宣教の日」、10月9日は「神学校日、伝道献身者奨励日」、10月31日は「宗教改革記念日」、11月6日は「聖徒の日、永眠者記念日」、11月20日は「収穫感謝日、謝恩日」、12月4日は「社会事業奨励日」等とされている。それぞれの意義を示されながら神様に礼拝をささげるのである。
とりわけ6月12日は、今年は「三位一体主日」と「子どもの日・花の日」が重なるのであるが、今年も花の日の意義を示されながら礼拝をささげたことであろう。もともと私自身も「子どもの日・花の日」が覚えられることで、キリスト教に関わることになる。日本の敗戦後3年を経たころ、母が入院していた。その母を近くの教会の日曜学校の子ども達がお見舞いしてくれたのである。その日は「花の日」の日曜日であった。見ず知らずの子ども達にお見舞いされた母は深い感動に包まれたようである。その後、退院するのであるが、さっそく見舞ってくれた教会の日曜学校に、小学生3年生の私を連れて出席したのである。お見舞いをいただいたお礼を述べ、今後は息子が出席させていただきますのでよろしくお願いいたします、と述べたようである。それからは、日曜日になると私を日曜学校に送り出したのである。従って毎週出席することになるので、4年生、5年生、6年生の時には皆勤賞までいただくことになるのである。こうして母は私を日曜学校に通わせたのであるが、自分の息子も他人様に喜んでいただく存在になることが願いになっていたようである。
この「こどもの日・花の日」は現在の私を導く原点にもなっている。母の祈りでもある「ひと様に喜んでいただける存在」には程遠いのであるが、一生の課題を与えられていると示されている。

「子どもの日・花の日」にお花を飾って神様に感謝をささげ。
我が家の庭に咲くアジサイの花

noburahamu2.hatenadiary.org