隠退牧師の徒然記<665>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)時<665>
2022年11月28日「OUTLOOKを開きつつ」

聖書の言葉
穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈りつくしてはならない。落ち穂を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかなければならない。 (レビ記19章9-10節)


1979年に神奈川県の中にある教会に赴任する。30年も務めることになるが、OUTLOOKを開きつつ導かれたお勤めであったと思う。もともと教会は一つの知的障害者施設と関係を持っていた。牧師がその施設で礼拝をささげることで、教会の皆さんも施設を示されていたのである。丁度、私が赴任した一ヶ月前に、もう一つの知的障害施設が開設されたのである。従って、二つの施設の礼拝をささげることで出かけることになったのである。教会の皆さんは内側だけでなく、いつも外側の存在にも心を寄せるようになっていたのである。だから、新しい牧師が赴任し、つぎつぎにOUTLOOKを示した時、皆さんは心から協力してくれたのである。
最初のOUTLOOKは一人の青年を心からお祈りしたことであろう。赴任して1年半頃、一人の青年が牧師を訪ねてくるようになった。もっとも、まったく関係のない青年ではなく、教会の幼稚園の卒業生であったのである。大学受験生で一年の浪人中である。勉強の合間に牧師を訪ね、いろいろなお話をするのであった。春になって大学に受かったら教会の礼拝に出席すると言っていた。そして、春になって大学に合格したのであるが、教会には来ない。腰痛で入院していたのである。そして、その腰痛は単なる腰痛ではなく腫瘍であった。大学病院で手術したが、下半身まひとなる。彼は落胆しつつも希望を持ち、車椅子バスケの選手になると言い張っていた。しかし、病状が進んでいく。牧師は、毎週木曜日の午後には病室を訪ねていた。そして、このような青年がいますよと教会の皆さんにお話するようになる。すると、教会の皆さんは、一度も会ったこともないのに順次お見舞いに行くようになる。病床にある彼を見舞いつつも、逆に慰められたともいわれるのである。彼は若干21歳で天に召されることになる。教会の人ではないのに、教会の皆さんは心から彼をお祈りしたのであった。
教会員以外の青年をみんなでお祈りしたこと、最初のOUTLOOKであったが、教会学校が6月の「こどもの日・花の日」に病院を訪問したこと、今までにない取り組みであった。今では、許可されないことではあるが、教会学校の子どもたちが入院している皆さんのお見舞いしたのである。一年目は一般の外科病棟で、怪我で入院している人たちであり皆さん喜んでくださった。二年目に訪問した時、病院側は老人病棟に案内をする。ほとんど寝たきりの方、認知症の方などであり、お花を差し上げても、なんだかわからないままに受け取られるのであった。翌年は、もはや病院には行かず、関係する二つの施設を訪問するようになるのである。OUTLOOKで示されるのは、他教会の応援でもある、教会出身の牧師が福島県相双地区の教会に赴任する。教会員もわずかで、教会の建物が荒れているということで、キャラバンと称して手伝いに行ったのである。青年たちである。ペンキ塗り、草刈、いろぃろな雑用をする。ワークキャラバンはその後も続くが、コンサートを行うようになっていた。こうしてOUTLOOKをいろいろ示されながら、教会の皆さんは祈りを深めるようになる。

教会学校のお友達が、花の日訪問
美しいお花は神様のお恵みです、と。
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