隠退牧師の徒然記<587>

牧師の隠退徒然記(2016年3月1日~)<587>
2021年5月31日「物語を示されながら」


聖書の言葉
何とかして、いつか神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。
(ローマの信徒への手紙1章10節)


最近はあまり物語に興味を持たなく、テレビのドラマはほとんど見なくなっている。日曜日の大河ドラマ、毎朝のドラマ等、皆さんが話題にしているのであるが、ここ数年はほとんど鑑賞していない。大河ドラマは歴史的にも一見の価値があるのであるが、物語は物語であり、歴史の証言ではない。朝ドラも事実を基にして作られているのであるが、やはり物語なのである。若い頃は小説を夢中になって読み、その世界に引き込まれたものである。NHKの「おしん」はご多分に漏れず、毎朝夢中になって見ていた。それは40歳、50歳の頃でもある。ところが80歳にもなると、物語の世界に興味が持てなくなる。そのような心境であったが、最近NHKの朝ドラに興味を持つようになった。物語は宮城県の「登米」が舞台であるからだ。この物語が始まっても興味を示さなかったが、ある日、見るでもなく放映していたので見ているうちに、舞台が「登米」であることを知り、登米を見たいばかりに見始めている。時々見ることができる北上川は懐かしい限りである。
そのように昔をしのんでいるのであるが、この登米の町に住んだというのではない。約一年間、この登米の町にある教会と幼稚園に通ったのである。1978年の頃である。その頃、同じ宮城県古川市にある教会の牧師であった。その教会で5年目を迎えたころ、登米にある教会の役員の方がお訪ね下さる。そして、古川の教会の牧師と共に登米の教会の牧師にもなってほしいとの申し出をいただく。一人の牧師が二つの教会の牧師になる、それを兼牧と称している。二つの教会の牧師になること、重いことになるが、求められてのことであり、引き受けたのであった。
教会は毎週日曜日に礼拝を捧げている。多くの場合、日曜日の朝である。二つの教会でどのように教会の活動をするのか。まず、古川の教会は日曜日の朝、いつも通りに礼拝をささげることにして、登米の教会は午後に行うことにしたのである。古川から登米の町まで車で1時間を要する。その頃は三人の子供が与えられており、日曜日の午後になると家族で登米に出かけたのであった。その登米の教会は幼稚園を開設していた。人口8千人の町であり、他には幼稚園はなく、保育園があった。そのため、一週間のうち三日間は幼稚園の執務で登米の町に通ったのであった。古川の教会も幼稚園を担っているが、園長は教会員が担っていたので、古川では牧師のみの職務であった。
登米の教会は信者の皆さんも少数であり、礼拝は10名くらいの出席であった。高齢の婦人たちで歩みが導かれていたのである。その皆さんが「あねさま人形」を作り、収入の一端としていた。今でも「あねさま人形」が飾られているので、折に触れて登米の町を思い出している。そんなことで朝ドラを楽しみにしているのである。

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登米の町付近の北上川は川幅が広く、雄大な眺めである。
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登米教会の皆さんが作ったあねさま人形。
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登米幼稚園のお友達。その頃は38歳頃である。

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