隠退牧師の徒然記<687>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<687>
2023年5月1日「やはり天国への思いがあるので」

聖書の言葉
その畑とそこの洞穴は、ヘトの人々からアブラハムが買い取り、墓地として所有することになった。
(創世記23章20節)

礼拝に向かうこと、それぞれ個人の姿勢において異なる。しかし、共通の姿勢が導かれたとき、大きな奇跡へと導かれて行くのである。教会は人々が集まり、それぞれの祈りをささげては礼拝が導かれているのであるが、共通の祈りが与えられるとき大きな礼拝へのうねりとなっていくのである。1979年に大塚平安教会牧師に就任して間もなく、その大きな礼拝への導きが与えられる。それは前回にも記した若き青年の証しであった。弱冠21歳で天に召されたが、教会の皆様のお祈りとなり、彼の回復お祈りする。そういう中でお父さんと共に5月の末に病床洗礼を受ける。そして7月の始めには天に召されたのであった。彼によって教会の皆さんのお祈りが礼拝の中で大きくなったのである。そのお祈りは彼のお父さん、お母さんが信仰に導かれたのであった。そして、彼は8月末に、完成したばかりの教会墓地に埋葬されたのであった。
その教会墓地の建設が進められていたのである。もともと教会は川崎にある春秋苑に墓地を持っていた。そこには初代牧師の北村健司牧師とお連れ合いのアイさん、そして綾瀬ホームの利用者2名が埋葬されていたのである。9月に教会に就任するが、その11月の第一日曜日は教団が定める聖徒の日であり、墓参に出かける。教会からは車で1時間は要するのである。その春秋苑に墓地を取得していたものの、墓地として形は造られていなかった。その場所は三角地帯で墓地としての建設が困難であるようだった。墓地があるものの、随分と長きにわたって形のないままであった。教会としても、やはり春秋苑は遠距離であるので、近い場所を求めていたのである。そのため、教会に赴任して間もなく教会は墓地建設委員会を設置する。新しい墓地建設へと歩みだしたのである。そして、模索しているうちにも厚木霊園なるものが、新規募集をしていることを知る。すぐに見学をする。教会から30分もあれば行かれる場所でもある。山間の一角にあり、閑静な場所でもあった。墓地建設委員会はすぐにこの厚木霊園内に墓地を取得したのである。墓地の中でも高台にあり、墓前礼拝をしても十分な場所なのである。墓地建設委員会はさっそく建設に取り掛かるのであるが、設計から施工に関してはすべて牧師に任せたのであった。まだ就任して2年も経ていないのに、そしてまだ若い牧師に、設計から施工に至るまですべて任せてよいのだろうか、と思わざるを得ない。と後になって思ったのであるが。実は墓地建設に関しては、まったく初めてではなかったのである。前任の宮城県の陸前古川教会でも墓地を建設したのである。しかし、そちらの教会では建設委員であったにしても設計、施工に関しては一切かかわらなかった。その道の専門家に委ねたからである。そうであっても、仙台市にあるいくつかの教会墓地を見学して、いろいろな墓地の建設を学んでいる。聖書的にも、信仰的にも墓地は大きな希望とならなければならないのである。そのような墓地の建設になったと思う。かなり大きな建設資金であったが、皆さんの献金ですぐに賄えられたのである。その心を一つにした礼拝の場所、教会墓地の意味深さは次回に記すことにしたい。

宮城県の教会で、墓地建設に関わる。
設計、施工には関わらなかったが、牧師として聖書の言葉を記したのである。

noburahamu2.hatenadiary.org