隠退牧師の徒然記<688>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<688>
2023年5月8日「ここも礼拝の場であり」

聖書の言葉
まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。
ヨハネによる福音書4章23節)

大塚平安教会の墓地は1982年に完成し、8月29日に献堂式を行っている。1979年9月に牧師として就任するのであるが、翌年の1980年4月の総会では教会墓地建設委員会を発足させている。就任して半年で墓地建設が始まったのである。そして2年後には完成したのである。墓地建設委員会は厚木霊園に教会墓地を建設することを決めたのであるが、その設計、建設に至っては就任したばかりの牧師に一任する。はて、どのように建設するべきか。一任されて、辞退しなかったのは、前任の宮城県の教会でも墓地建設に関わったからでもある。そこでは設計とか建設には関わらなかったが、牧師として建設委員の皆さんと仙台市にあるキリスト教墓地を見学して歩いたのである。その学習が基礎になったことは確かである。教会墓地なので、多くの皆さんを納める必要がある。いわゆる納骨堂になるのであるが、単に四角い建物では意味がないということである。教会の納骨堂なのである。その納骨堂には意味があるということである。当初は四角い一つの納骨堂を示されていた。多くの皆さんを納める場所としても、やはり限りがある。いつまでも納骨堂に納めていても、時代と共に関係者がいなくなる。そのような場合、土に返すことなのである。従って、納骨堂と共に土に返す堂を並べて設置することにしたのである。お互いに向き合っており、人生を共に歩んだ姿勢として建設したのである。そして墓地の前面の中ほどに説教台を設置する。
こうして完成した教会墓地である。日本基督教団は11月の第一日曜日を「聖徒の日」(永眠者記念日)としている。大塚平安教会はその日を「召天者記念礼拝」としてささげるようにしていた。当日は教会員として天に召された皆さんの写真を飾り、それらの皆さんの証しを示されながら礼拝をささげている。そして午後からは教会墓地に出かけ、墓前礼拝をおこなう。教会墓地がある厚木霊園まで車で30分もあれば行かれる。教会の皆さんはそれぞれ車に分乗して現地に向かう。教会墓地の前は結構広い道でもあり、かなりの皆さんが墓前にたたずむことができる。その墓前礼拝に赴くとき、いつもタオルを何枚が持参する。実は教会墓地の前面中央に説教台を設置しているのだ。墓前礼拝で聖書や讃美歌を置くためである。その説教台を石塔、墓石と思われ、お水をかける方がおられる。いざ礼拝をしようとするとびしょびしょの説教台であり、聖書を置くどころではない。そのため墓前礼拝にはタオルを持参するという訳。それでも水をかけてくれたので、きれいな説教台にもなっている。
教会墓地は亡くなった皆さんを納める場所なのであるが、教会墓地はそれにとどまらず、礼拝をささげる場所なのである。神様の御心をいただいて力強く生きた皆さんの証しを示されながら、礼拝をささげ、生きている者が祝福の人生を歩むのである。教会墓地、ここも礼拝の場所なのである。キリスト教の墓地でも、大塚平安教会の墓地のように説教台を設置しているところはない。どこの教会墓地にも見られない独特の佇まいなのである。教会墓地は礼拝の場所であると示している。

大塚平安教会の墓地。前面中央が説教台。

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