隠退牧師の徒然記<696>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<696>
2023年7月3日「二つ目の応援牧師として」

聖書の言葉
わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
(コリントの信徒への手紙<二>1章2節)

2010年10月から横須賀上町教会の応援牧師となる。応援と言っても月に一度礼拝の説教をすることである。そして2012年4月よりは説教と共に聖餐式を行うようになる。専任の教師が就任するのであるが、まだ補教師なので聖礼典が執行できない。それで今までは説教のみの応援であったが聖餐式をも司るようになったのである。その応援は2016年7月まで続けられたのであった。同教会の教師が正教師になり、聖礼典を執行できるようになったので応援も終わりとなったのである。こちらの応援は終わりとなったが、まだ続いている応援がある。三崎教会の応援である。こちらの教会は2012年7月から応援するようになる。2012年6月に神奈川教区定期会が横浜の清水ヶ丘教会で開催された。もはや教会を退任しているので、出席の義務はないのであるが、准議員としての出席となる。すでに総会が始まっていて、遅れての出席でもあり、受付付近にたたずんでいたのである。そこへ三崎教会の生野牧師先生が来られたのである。この先生とは長年、同じ教区にいるので何かとお交わりがある。こちらの先生は教誨師としてお働きでもあり、神奈川教区内の教誨をまとめてくださってもいる。私も教誨師なので、その面でもいろいろとご尽力いただいているのである。生野先生は私が大塚平安教会を退任していることをご存じであり、その後どのように過ごしているかお尋ねくださる。横須賀上町教会のお手伝いをしていることなどをお話するのであった。すると生野先生は三崎教会も手伝ってほしいと言われる。実は生野先生は三崎教会を退任され、新しい牧師が就任していたのであるが、二年間で退任されたのであった。それで生野先生が代務者として関わっているのだと言われる。だから、礼拝説教は数人の牧師に依頼しているのだと言われる。その説教者に加わってもらいたいと言われたのであった。他にはお勤めがないので、引き受けることになる。こちらの教会は隔月に一度の礼拝説教なのである。
三浦半島のはずれでもある三崎教会なので、もちろん存じあげる方はいない。と思っていたのであるが、思わぬ方との再会がある。お一人は清水ヶ丘教会の方であった。私の若い頃に清水ヶ丘教会でお交わりがあったのであろう。もう一人は青山教会時代にお交わりいただいた山田さんという方である。この方も高齢になり、三崎教会の近くにある高齢者ホームに居住されるようになっている。約40年ぶりの再会となる。私が説教を担当する時には必ずご出席くださるのであった。礼拝が終わると、必ずお寿司屋さんにご案内下さり、美味しくいただくのであった。数年前に天に召されている。そして、最近は横浜本牧教会時代にお交わりいただいた方が、やはり近くの高齢者ホームに居住されるようになり、礼拝に出席されるようになっている。三浦半島のはずれではあるが、以前お交わりいただいた皆さんとの再会があり、喜びつつ礼拝に向かうのである。この三崎教会でも娘の羊子のピアノリサイタルを開かせていただいている。今は連れ合いのスミさんは出席できないが、当初は家族で出席しており、皆さんとのお交わりを喜び、感謝している。

三崎教会の講壇

noburahamu2.hatenadiary.org