隠退牧師の徒然記<692>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<692>
2023年6月5日「やはり日本語で礼拝をささげたいので」

聖書の言葉
「どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」(使徒言行録2章8-11節)

約半年はバルセロナで過ごし、滞在中はカトリック教会のミサに出席していた。娘の羊子がカトリック教会に出席し、ミサの奏楽をしているからである。娘の羊子がバルセロナで過ごすようになった時、近くにはプロテスタント教会がないので、カトリック教会に出席する。その教会でプロテスタントであるが、聖餐式に与っても良いかと神父さんに尋ねるが断られたのである。それで別のカトリック教会に行き、やはり聖餐を受けられるか尋ねた。するとそこの神父さんは、同じキリスト教なんだからと聖餐式に与ることを勧めてくれたのである。結局、そのカトリック教会に出席するうちにも、ミサの中で賛美歌がうたわれても、奏楽なしであることを知る。そして隅の方に小さなオルガンがあるのを知り、神父さんに奏楽を申し出たのである。神父さんは喜んで受け入れて下さり、カトリック教会で奏楽を行うようになったのである。その後、羊子がグランドピアノを購入するものの置く場所がないので、その教会に置かせてもらうことにする。それによりミサではピアノで奏楽をするようになったのである。そして、その小さなカトリック教会で奏楽をしているうちに、サグラダ・ファミリア教会のミサでも奏楽をするようになるのである。その二つのカトリック教会のミサの奏楽を担当しているが、時には他のカトリック教会でも奏楽を求められ、応ずることにしているのである。こうしてカトリック教会のミサの奉仕をしているが、日本人による日本語の礼拝に出席するようになる。バルセロナ日本語で聖書を読む会という集会がある。その集会の責任者が、羊子のコンサートに出席され、名前からしキリスト教なので、声をかけてくれたのであった。少人数であるが月に一度、日本語の集会を開いているのである。バルセロナ在住の日本人が出席されている。説教はバルセロナに来られた牧師に依頼するか、ヨーロッパのどこかで日本語集会をしている宣教師、牧師を招いているのである。ユーロ圏なので、比較的簡単にヨーロッパを行き来できるのである。
滞在中、バルセロナ日本語で聖書を読む会に招かれ、説教をさせていただく。必ずしもプロテスタントの皆さんばかりではなくカトリックの信者さんもおられたのである。多ければ10人くらいは出席するが、7名8名くらいの出席であった。最近は、コロナの取り組みでもあるが、オンラインで集会を開くようになり、世界のいろいろな国から参加している。2011年にバルセロナに滞在した時、その時は東日本大震災があり、バルセロナでも復興支援活動が行われており、羊子のコンサートも復興支援が多く行われていた。そして、マドリッド日本語で聖書を読む会も復興支援のコンサートを開くことになり、羊子と共に現地に行く。コンサートと共に集会で説教を求められ、務めさせていただいたのである。各地で日本語による集会が開かれているが、ヨーロッパの各地の集会の皆さんが、8月には一堂に会して集会を開いている。毎年、開催場所が異なり、フランス、ドイツ、イギリス等、いろいろな地域に集まり、共に礼拝をささげる喜びを持っているのである。やはり、自分の言葉で神様を賛美し、日本語で聖書を読むこと、大きな力になるのである。

あるカトリック教会。羊子はこの教会のミサで奏楽をするようになる。
サグラダ・ファミリア教会のミサでも奏楽をしている。
バルセロナ日本語で聖書を読む会で説教をする。
マドリッド日本語で聖書を読む会で説教をする。
noburahamu2.hatenadiary.org