隠退牧師の徒然記<698>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<698>
2023年7月17日「出発点を示されながら」

聖書の言葉
わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。(テサロニケの信徒への手紙<一>1章2節)

最近のブログはいくつかの教会に招かれたことを記している。それは隠退教師になって、どのような教会のお招きをいただいたかを記しているのである。2011年6月に隠退教師になり、まずお招きをいただいたのは東京の青山教会であった。神学校を卒業し、伝道者として最初に赴任した教会でもあり、隠退後、最初にお招きをいただいことに意義があると思う。青山教会のことについては前回記している。今回は二回目にお招きいただいた清水ヶ丘教会である。もともと出身教会であり、今までも数回お招きをいただいているが、隠退後は初めてなのである。2015年3月1日のことである。当時は島田勝彦牧師が担っていた教会である。島田牧師が他の教会に招かれたこともあり、その穴埋めでお招きをいただいたのであった。島田牧師も清水ヶ丘教会出身であり、一緒に高校生グループのぶどうの会の顧問として担ったことがある。青年時代共に過ごしたのであった。私の二人の姉たちが清水ヶ丘教会に所属していたので、小学生の頃から姉に連れられて出席している。自ら出席するようになるのは中学生になってからである。まだ中学生なので、教会学校中学科に出席するように勧められるのであるが、その中学科にはすでに以前から出席している中学生がかなりいるのである。そんな状況なので中学科に出席しないまま礼拝に出席していた。すると高校生グループであるぶどうの会の皆さんが、まだ中学生であるがグループに誘ってくれたのである。中学生であるが高校生グループで活躍するようになるのである。そして高校生になったとき、今まで教会学校中学科に出席していた皆さんが高校生グループに入ってきたのである。それに対してすでに高校生グループで活躍しているので、先輩気取りで新しいメンバーを迎えたのであった。その高校生時代に将来は伝道者になる決心をしていたのであるが、なかなか神学校に入れなかった。両親も高齢になりつつあり、自分の進路について迷っていたのである。もはや決心してから5年を経ていた時、長姉が「お父さんとお母さんとは、私が一緒に過ごすから、あなたは牧師さんになりなさい」と勧めてくれたのであった。それからは神学校、最初の青山教会、宮城の陸前古川教会、そして神奈川の大塚平安教会の牧師として歩むようになる。長姉はリューマチを患いながらも両親と共に過ごしていたのである。宮城から神奈川の教会に赴任した時、ほっとした思いであった。実家の両親に近づいたからである。そして数年後に母が、またその数年後に父が逝去する。父が逝去の二年後に姉も逝去したのであった。「お父さんとお母さんとは、ずっと一緒にいてあげたよ」と姉に言われているようであった。
礼拝に向かうことについて記しているのに、つい歴史を記してしまったが、清水ヶ丘教会は私の人生、伝道者としての出発点なのである。2015年に招かれたことを感謝しているのである。出身教会の講壇に立つとき、小学生時代を知っている婦人会の皆さんが、「あのノブちゃんがねえ」と言いつつ、目頭を押さえられるのであった。

清水ヶ丘教会の礼拝堂
清水ヶ丘教会のただずまい
久しぶりに招かれる

noburahamu2.hatenadiary.org