隠退牧師の徒然記<700>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<700>
2023年7月31日「おなじみの教会であるが」

聖書の言葉
まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。いまがその時である。
ヨハネによる福音書4章23節)

隠退後にお招きをいただいた教会を振り返っている。2017年6月18日にお招きをいただいた明治学院教会はおなじみの教会でもある。おなじみと言うほど、ある時期は毎年赴いていたのである。大塚平安教会に在任の頃、神奈川教区では毎年のように教区音楽祭を開催していた。各教会が聖歌、讃美歌を歌う集いなのである。多くの場合、それぞれの教会の聖歌隊がうたうのであるが、聖歌隊ではなくても、有志が参加することもある。その会場が横浜の明治学院教会の礼拝堂なのであった。大塚平安教会も聖歌隊活動があり、教区音楽祭にはいつも参加していたのである。聖歌隊ではないが、牧師として会場に赴いていたのである。神奈川教区の議長時代は必ず議長の挨拶があるので赴いていたのである。その明治学院教会は日本基督教団ではなく、キリスト教の大学として教会を組織していたのである。大学の先生達もキリスト者がおられるので、それらの皆さんで礼拝をささげていたようである。大学の教会なので、在学生の出席が望まれるのであるが、礼拝出席は学業の単位にはならないので、出席者も少ない。高輪にある明治学院の礼拝にお招きをいただいたことがある。大学生向きの礼拝であり、従って週日の礼拝である。連れ合いのスミさんが明治学院に勤務していたこともあり、そのような関係でお招きをいただいたのである。大学生の礼拝なので、さぞ礼拝堂は満席なのでは、そんな思いがよぎったのであるが、当日の礼拝はまばらの出席であった。大学の礼拝はそんなもので、別のキリスト教主義大学の礼拝に招かれたときも同じであった。それに対してキリスト教主義の中学・高校の礼拝は、授業の一環としての礼拝なので、全校生徒が出席することになっている。いくつかのキリスト教主義学校の礼拝にお招きをいただき、いずれも全校生徒の礼拝であったのである。ところで、その明治学院教会の礼拝のお招きをいただいたのは、その教会の礼拝を担っている方は、連れ合いのスミさんが高輪の明治学院に勤めていた頃、共にお勤めをした方なのである。それでお招きをいただいたのであった。当日は家族で伺ったのであるが、横浜の明治学院は郊外でも高台に存立している。入り口の門には守衛さんがおられ、礼拝に出席するために来たことを告げて通らせてもらう。そのような教会なので、一般の人は教会の存在が分からないであろう。従って、当日の礼拝も以前から所属されている教会員5、6名だけなのである。教区音楽祭であふれるばかりの出席者が思いの中にあるので、がらんとして礼拝堂で、何となく気が抜ける思いであった。それでも少数の皆さんであるが、皆さんと共に賛美の声も高らかに歌うのであった。教区音楽祭と言っても、優劣を競うのではなく、順次讃美歌を歌うことなのである。礼拝にはそれほど出席者がいないが、賛美の集いで多くの皆さんが、この御堂に集まるのであるから、明治学院教会の大きなお働きであろうと示されている。明治学院教会の礼拝にお招きをいただいたこと、思い出に残るお恵みと示されている。

教区教会音楽祭の会場である明治学院教会の礼拝堂。
大塚平安教会の聖歌隊

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