隠退牧師の徒然記<701>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<701>
2023年8月7日「友人の牧師はいないのであるが」

聖書の言葉
パウロは、なおしばらくの間ここに滞在したが、やがて兄弟たちに別れを告げて、船でシリア州へ旅立った。
使徒言行録18章18節)

神学校で学んでいた頃、一つ上の学年で学んでいる牧師とは、特別な友人という訳ではないが、いつも張り合っていた思い出がある。彼は卒業してからはお連れ合いと共に開拓伝道に従事し、子供たちの学童保育をしていた。一度はその教会にお訪ねしたいと思っていたが、適わぬこととなった。彼はまだ若いのに天に召されたからである。その後はお連れ合いが担当していたが、はっきりしない消息で、遠のいてしまったのである。彼と張り合っていたというのは、神学生時代のことである。神学校でも文化祭なるものを開催しており、各クラスの出し物で腕を競っていたのである。私も自分のクラスをまとめて劇なるものを演じたりしていた。一つ上のクラスの友達も、そのような文化祭に力を入れており、彼もクラスをまとめては劇なるものを演じていたのである。張り合っていた頃を思い出すときがあった。卒業生の研修会に彼も参加し、その日の夜は昔を懐かしく語り合ったものである。夜遅くまで語り合っていたので、部屋で休んでいる人から、語らいがうるさくて寝られないとのご注意を受けてしまう。その語らいがいつまでも忘れられないのであった。彼の教会、張り合った神学生時代、研修会で遅くまで語らったことなど、忘れられないのである。その思い出を掘り返すごとくのことが起きる。彼が担っていた宿河原教会から礼拝説教のお招きをいただいたのである。2018年6月17日のことである。お招きをいただいても彼もお連れ合いもいないのであるが、一度は伺いたいと思っていた彼の宿河原教会なので、よろこんで伺うことにしたのである。当日は家族で伺ったのであるが、なかなか困難な道であったが、どうやらたどり着く。広い駐車場の一角にあり、これでは一般の人はわかりにくいと思われるが、屋根の上には十字架が立てられているので、教会としての存在を示されるのであった。その時は、伝道師が教会を担っていたので、礼拝説教と共に聖餐式を担うことになる。私にとっては意義のある教会の奉仕をさせていただいたのであるが、連れ合いのスミさんもうれしいひと時となったのである。スミさんは東京の高輪教会の出身であるが、その高輪教会でお交わりのあった方が、こちらの教会員でもあり、久しぶりの懐かしい再会が与えられたのであった。私の友人の牧師ご夫婦はおられないので、また、話題にすることもないので、もっぱらスミさんと高輪教会時代のお友達とのお交わりが中心となったのであった。親しく交わった友人の牧師の宿河原教会に、彼が存在していなくても、伺うことができたことを心から喜んでいるのである。当日の訪問の感想を彼から求められているようでもある。昔、親しくお交わりのあった友人達、今は天におられる方が多くなってきた。昔を懐かしむときが多くなったということである。

宿河原教会で礼拝説教を担当する。
聖餐式も担当する。

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