隠退牧師の徒然記<678>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)時<678>
2023年2月27日「身辺整理を繰り返し」

聖書の言葉
旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。(マタイによる福音書10章10節)

2月も終わりを迎えるころ、そして3月にもなると、いつの間にか片づけを始めている。いわゆる身辺整理をしておかなければと思うのである。しかし、これまでも身辺整理なるものをしてきている。3月に身辺整理を思い立つのは、やはり3月は年度の終わりであり、4月からは新しい歩みとなる。そんなことを思うとおのずと片づけが始まるのである。前記したように片づけはこの時期になると戸棚を開けては整理しているのである。まあ、思い立ったのであるから片づけを始めるのであるが、なんでこんなものが残っているのであろうかと思うのである。前回の片づけのとき、このような物は不要であるのに、片づけなかったのは、やはりまだ残しておこうと思ったのである。毎年、身辺整理をしているが、その時は、これは大切なものであると思ったのであるが、今回、手に取ってみると、もはや必要がないと思うようになっている。毎年、そう、年齢を重ねていくうちに、不要と思うものが増えていくのである。いくつかの思い出が写真として残されている。
神奈川教区の総会副議長、そして総会議長を担っていた頃、各教会が牧師を招聘して就任式を執行するのであるが、その就任式を司るのは教区の要職にある人で、多くの場合、議長や副議長が赴く。就任式は午後に開催されるのであるが、自分の教会の礼拝が終わるや、昼食もそこそこにして出かけるのであった、神奈川教区内の教会であっても三浦半島や川崎のはずれにある教会を訪ねることになる。川崎のある教会の就任式の時には、時間もぎりぎりで、教会の近くに来たとき、知人の牧師が待っていたことが思い出される。遠くで私を見つけ、手を振ってはお招き下さっていたことが懐かしく思い出されるのである。そこでの写真が残されている。相模原にある教会の何かの記念式があったが、教区議長として祝辞を述べるために赴く。しかし、時間を間違えていたようで、駅を降りたとき、教会が見えるのであるが、その玄関前に教会の方がたたずんでおられた。そして、私を見ると駆け足のしぐさをするのであった。早く来るようにとの合図である。もはや式が始まっていたのである。遅ればせながら祝辞を述べたのであるが、やはり忘れられないときである。忘れられない就任式では、ある老牧師が出席者を叱っていたことである。牧師就任式に赴いたのであるが、その日はハロウィンの日でもあった。式が終わり祝会が開かれる。皆さんは牧師の就任を喜びながらもハロウィンの話題に花をさかせるのであった。その時、老牧師が「この牧師就任式という喜びの日に、ハロウィンではない」ときついお言葉を投げかけたのまであった。その後はひっそりとお祝いが続けられたのであった。その時の写真も残されている。いくつかの就任式等の思いでは、写真を見ては示される。身辺整理をしているうちにも教区議長として司った就任式や教会献堂式等の記念写真がファイルに収められている。
身辺整理をするたびにも、これは保存しておくことにしていたのであるが、もう必要ないと思うようになっているのである。自分にとっての思い出は、他の人には何の意味もないと言うことなのだ。やはり整理すべきと。

教会の牧師就任式の司式を行う。
こちらも就任式を司り。

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