隠退牧師の徒然記<702>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<702>
2023年8月14日「隠退後、最初に招かれた教会」

聖書の言葉
あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励ましあいたいのです。(ローマの信徒への手紙1章12節)

2011年6月に現役を隠退する。最近のブログは隠退後にお招きいただいた教会を書き留めている。最初にお招きいただいたのは2013年11月にお招きいただいた青山教会であったと記している。しかし、それより前にお招きをいただいた教会があったのである。2011年10月30日に薬円台教会に招かれている。隠退後四ヶ月後にはお招きいただいているのである。今迄、聞いたこともない名前の教会であるが、知人が担っている教会であり、よろこんでお招きに応えたのであった。同教会の牧師とは宮城県の陸前古川教会の頃、同じ地区内の教会を担っておられたのである。東北教区宮城分区は仙台の北を仙北地区としていた。その仙北地区には七つの教会があった。鳴子教会、田尻教会、涌谷教会、登米教会、石巻栄光教会、石巻山城町教会、陸前古川教会である。この七つの教会がいつも交流を深めていた。年に一回は連合礼拝と称し、一つの教会に七つの教会の皆さんが共に集まり礼拝をささげ、お交わりを深めていたのである。交わりと言えば、牧師の家族の交わりが開かれていた。毎年1月の15日の成人の日には鳴子温泉に牧師家族が集まり、ゆっくり温泉に入り保養する。翌日は鳴子のスキー場で子供達を楽しませていたのである。そのような交わりがある中で、あるとき我が家が横浜の実家に帰省するにあたり、その今は薬円台教会牧師のお連れ合いとお子さんたちもご実家が横浜にあるので一緒に帰省することにしたのである。幼稚園のマイクロバスを私が運転し、両家族の皆さんが宮城と横浜を往復したのであった。そんなお交わりがあるので、親しみが増しており、お招きをいただいた時、懐かしさが先になってつい承諾してしまった感がある。そのため、連れ合いのスミさんも一緒に伺うと言うのは当然のことである。船橋まで車で行くことにしたとき、子供たちが心配して一緒に行くと言うのである。次女の星子は写真係り、三女の百合子は車の運転士として、そして友達の弥生さんと共に五人で伺ったのである。
  薬円台教会は礼拝出席30名前後の教会である。住宅街の一角に建てられている。特別伝道集会としてメッセージを取り次がせていただいた。礼拝後、皆さんの手作りでお食事をいただきつつお交わりをした。温かい皆さんであり、緊張もほぐれ、この温かさが午後からの講演会を励ましてくれたようである。午後2時からは講演会が開かれた。「存在の勇気」(あるいは私が生きる意味)と題してお話させていただいた。1時間30分もお話したが、皆さんが熱心に聞いてくださっていることを感じる。温かい教会員の皆さんの励ましで語らせていただいたのである。伝道の秋、収穫の秋である。薬円台教会がいよいよ祝福の群れであることを祈りつつ、同教会の牧師先生ご夫妻との再会を喜びつつ帰路に就いたのであった。

薬円台教会のたたずまい
薬円台教会で説教をする。

noburahamu2.hatenadiary.org