隠退牧師の徒然記<720>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<720>
2023年12月18日「外国の地で聖書に向かう ⑤ 」

聖書の言葉
「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝をする者を求めておられるからだ。」(ヨハネによる福音書4章23節)

外国の地で聖書による神様のみ言葉を取り次いだことを記しているが、それほど外国に行っているのではないが、もう一つの外国生活を記しておこう。マレーシアである。その国の首都クアラルンプールで日本語による礼拝をささげている人々がいる。2012年3月までは専任の牧師がいて、教会活動が続けられていた。しかし、その牧師が高齢となり隠退されたのである。なかなか外国の地で牧師の勤めをする人がいないのである。そこでその教会の皆さんは日本基督教団に応援を求めてきたのである。いずれは専任の牧師が決まるであろうが、当面、隠退牧師に三ヶ月ずつ勤めてもらいたいというのである。三ヶ月はパスポートの期間である。それ以上になると滞在ビザが必要であり、三ヶ月ごとに隠退牧師が勤めることになったのである。その体制が2012年4月から始まる。その年の8月頃、日本基督教団世界宣教委員会から連絡があり、私もその務めをしてもらいたいというのである。その頃、横須賀上町教会や三崎教会の礼拝に順次招かれていたこともあり、外国に三ヶ月も行くことに躊躇を覚え、お断りしたのであった。そのことを連れ合いのスミさんに話したら、マレーシアに行くことを勧めてくれたのである。そんなお勧めもあったので、一度は断ったものの承諾の連絡をする。すると赴任はぜひ夫婦でお願いしたいとのである。連れ合いのスミさんには、まさか自分まで行くとは思っていなかったのであるが、夫婦で赴くことにしたのであった。2012年10月はスペイン・バルセロナに滞在していたのであるが、日本の自宅に世界宣教委員会から連絡があったので、バルセロナから日程の連絡をする。それで決まったのが、2013年3月からの三ヶ月であった。旅行の手配はすべてクアラルンプール日本語教会がしてくれる。そして、当日、マレーシア・クアラルンプールの空港に降り立ったのであった。3月は、日本はまだ寒さも残る気候であるが、空港に降りたとき、暑さが身に染みたのであった。赤道直下の国である。早速第一回目の礼拝が行われる。礼拝の場所は牧師館から車で30分くらい離れている。基督兄弟団の教会であり、その教会の礼拝堂はかなり広いが、日本語教会はその教会の諸集会所を借りて行われている。礼拝は午後4時からである。日曜日であるのに朝から牧師館の中に閉じこもっているのも落ち着かない。午後3時頃に教会の人が迎えに来てくれる。礼拝の場は冷房が効いており、寒いくらいである。こちらでは冷房で寒いのはご馳走なのだという。礼拝は1時間くらいで終わる。その後は集会の場があり、そこでしばしお茶をいただく。第一回の礼拝の時、その後は中華料理店で歓迎会が行われた。その後の礼拝では、お茶をいただいた後は有志で食事に出かけるのである。礼拝が終わり家に帰って夕食の支度をするより、皆さんと共にどこかの食事処で食べたほうが良いのである。我々も滞在中は皆さんの仲間に入れていただき、いつもどこかの食事処の経験をするのであった。礼拝はいつも20人前後である。日本人で半永久的に居住している人、派遣社員の人等が出席されている皆さんである。婦人会や若婦人の会の皆さんの集会でもみ言葉を取り次いでいる。

クアランブール日本語集会の礼拝
スペインから娘の羊子が一時滞在、礼拝の奉仕をする。
借用している基督兄弟団の集会所で礼拝をささげている。

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隠退牧師の徒然記<719>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<719>
2023年12月11日「外国の地で聖書に向かう ④ 」

聖書の言葉
「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝をする者を求めておられるからだ。」(ヨハネによる福音書4章23節)

外国の地で聖書による神様のみ言葉を取り次いだことを記しているが、今回は韓国の教会を訪問したことを記しておく。日本基督教団の総会書記に選任されたのが2002年10月に開催された日本基督教団総会である。まだなかなか書記として軌道にも乗っていない時期、すなわち2003年6月には韓国の教会を訪問している。韓国にはプロテスタントの教会でもいくつかの教会があるが、その中でも韓国基督教長老会(PROK)が50周年を迎えたということで記念集会が開催される。その記念集会に日本基督教団も招待されており、議長も副議長もそれぞれの都合があり、結局書記が出席することになった。その時の記録をブログでも記しているが、10年も以前のことなので、再度記しておく。

韓国基督教長老会(PROK)50周年記念集会出席報告
韓国基督教長老会は1953年6月に朝鮮イエス教長老会から分立して歩んでいるが、2003年6月に50周年を迎えた。その記念集会「YEAR OF JUBILEE」を2003年6月9日〜11日に開催した。主題「United As One in the Promised New Land」( Genesis 12:1-3 Ephesians 4:4-6 )。50周年記念集会は10日午後1時から6時までChonan Cityで開催された。会場はスポーツセンターで、およそ8,000人が集まった。分立して歩んだ50年の歴史をスライド、歌、ダンス等で表し、新しい歩みは一つなる姿として歩むことを宣言した。出席した各国ゲストはローソクを持参することが求められており、記念集会の開会時に点火して入場したのである。それは各国キリスト教の光をPROKに持っていったことを意味し、日本基督教団の光をお持ちしたと言うことになるのであった。各国からの光は高い位置に吊り上げられ、8,000人をお祝いするかのようであった。記念集会の終わりには、再び各国のゲストが中央に進み出、大きなバースデイケーキにナイフを入れたのであった。50年のお祝いと新しい歩みのお祝いである。この記念集会には各国キリスト教
20教派、27名がゲストとして出席した。

この記念集会に出席しても、特に説教をしたのではなく、お祝いの言葉を述べただけである。それでも韓国の教会の皆さんといろいろな面でお話ができたことは、やはりメッセージをお伝えしたことにもなるであろう。大塚平安教会は社会福祉法人の綾瀬ホームとさがみのホームと関係を持っているが、その母体の鎌倉保育園は韓国にも施設を開設したのである。ホームの園長から韓国に行かれたら訪問されたいとの要望があり、それが実行できたこともメッセージをお伝えしたことにもなるであろう。韓国教会訪問は良い体験を与えられたと思っている。
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隠退牧師の徒然記<718>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<718>
2023年12月4日「外国の地で聖書に向かう ③ 」

聖書の言葉
「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝をする者を求めておられるからだ。」(ヨハネによる福音書4章23節)


外国の地で聖書による神様のみ言葉を取り次いだことを記しているが、今回は前回と同じようにスペインの地であるが、今回はバルセロナではなくマドリッドである。日本の3月11日の東北関東大震災がおきて、我々もスペイン旅行を躊躇したのであるが、計画を実行する。実行したことで、このスペインの皆さんが日本の大震災を覚え、復興のためにお祈りしていることを示される。その表れがコンサート等を開き、見舞金を得ることであった。すでにバルセロナでも復興支援コンサートが開かれており、羊子もいくつかの支援復興コンサートに臨んでいる。スペインの首都マドリッドでも開かれることになった。マドリッドには祥永さん・フェルナンドさんご夫妻がおられ、このご夫婦がマドリット日本語で聖書を読む会を開いているので、娘の羊子がそのお二人に連絡を取り、復興支援コンサートの開催となったのである。そのコンサートはマドリッドにあるインマヌエルバプテスト教会である。スペインはほとんどがカトリック教会であるが、それでもいくつかのプロテスタント教会がある。実は当日の前はブルゴスという町にいた。そこでもコンサートが開かれたのである。そして12時頃の電車に乗り、午後2時頃にマドリットにつき、タクシーでご夫妻マ家に行く、コンサートは夜の8時からである。時間的にも余裕があり、コンサートに臨むことができた。そして、私たち四人であるがご夫妻宅に泊めていただくことになる。そして、翌日は日曜日であり、ご夫妻宅でマドリッド日本語で聖書を読む会の礼拝がささげられることになった。礼拝には祥永さん、フェルナンドさん、そして80歳になる婦人、この方はヴァイオリンの先生である、さらに営業で滞在している青年、そして私たち4人の家族、全部で8名が礼拝をささげたのであった。祥永さんが、出席される方が、特に罪の問題について聖書の教えを求めておられるので、お示しいただきたいと言われる。それで、創世記3章に示される人間の罪にいたる経緯のお話をする。翌日は月曜日であるが、聖書の集いが開かれる。フェルナンドさんは公務員としてのお勤めがあり、お出かけである。出席されたのは、昨日の礼拝でも罪の問題を求めたご婦人と祥永さんと私達4人の家族である。昨日の続きであるが、アダムさんとエバさんの示しをお話したのであった。出席者については、いつもは他にも数人出席されているという。ところが、その日曜日はデモが行われたためだと言われる。マドリッドではプロテスタントの存在が公に認められてなく、いくつかの教会の申請をしても認められない。そこでプロテスタントの教会の皆さんがデモで存在を訴えたということである。プロテスタントの集いはいくつかあるが、なかなか存在が認められないようである。バルセロナに戻り、羊子の知り合いの神父さんに、バルセロナでもプロテスタントの締め付けがあるのかと聞いてみる。そんなことはありませんということであった。マドリッドプロテスタントの存在を認めないのは、ほんの一部のようである、スペイン全体がそのような姿勢ではないということである。外国における信仰に生きる一面を示された思いである。

スペインのブルゴスからマドリッドへ電車の旅
マドリッド日本語で聖書を読む会

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隠退牧師の徒然記<717>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<717>
2023年11月27日「外国の地で聖書に向かう ② 」

聖書の言葉
「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝をする者を求めておられるからだ。」(ヨハネによる福音書4章23節)

外国の地で聖書による神様のみ言葉を取り次いだむこと、聖地旅行でのシナイ山頂が最初である。1995年12月である。それからは外国には縁遠いのであるが、牧師を退任することで再び外国の地でみ言葉を取り次ぐのであった。2011年である。2010年3月に長年勤めた大塚平安教会の牧師を70歳にして退任することになる。退任したら、バルセロナでピアノの演奏活動をしている娘の羊子のもとに行くことが願いであった。しかし、退任するや、4月からは横浜本牧教会の代務者を勤めることになる。その年の9月までである。そしてその後にバルセロナに赴こうかと思うものの、いくつかの予定が入り、その年は不可能になる。そして次年の2011年4月4日からいよいよバルセロナ行きが決まったのである。ところが2011年3月11日に東北関東大震災が起きる。そういう中で、外国旅行をして良いものかと迷うのである。しかし、旅券も求めてあるし、予定も決められているので、計画を実行することになる。連れ合いのスミさんと二番目の娘の星子と三人で赴くことになったのである。当初はスイス航空のフライトであった。日本の全日空より安いからである。ところが予定日の前日に旅行社から連絡が入り、スイス航空のフライトはキャンセルが多く、そのためフライトはキャンセルになったので、他の航空会社のフライトを紹介してくれたのである。その変更を、良く考えもせず了解してしまうのは、変更の飛行機は全日空であったからである。そのフライトはドイツのフランクフルトで乗り換えなのであるが、1時間しかなかった。全日空のフライトが少し時間を要したので、乗り換えができず、4時間も待ってバルセロナに向かったのであった。このようなトラブルがあったが、なんとかバルセロナに着き、滞在が始まったのであった。バルセロナ日本語で聖書を読む会があり、その集いでみ言葉を取り次ぐこと二回である。中心になって集会を開いている人が、あらかじめ説教の依頼をされていたので、日本にいるときから準備をしている。集会は二回とも娘の羊子の家で行う。いつも6、7人の皆さんが集う。必ずしもクリスチャンではない人も。またカトリックの信仰を持つ人もおられる。バルセロナでは教会と言えばカトリック教会である。もちろんプロテスタントの教会があるが多くはない。在住する皆さんはカトリック教会に出席するのであるが、やはり日本語で礼拝をささげたいのである。バルセロナの集会は月に一度である。2012年にも訪れたが、その時は会場は娘の家ではなく、中心になって集会を担っている方の家で行うようになっていた。その頃は、猫アレルギーの方が出席されるようになり、羊子の家には二匹の猫、四匹のミニピンシャの犬がいたのである。そのため羊子の家では集会を開かないようになった。2014年にもバルセロナを訪れたが、その時はカトリック教会のミサで奨励を行っている。娘の羊子に通訳をしてもらいながら、スペインの皆さんとミサをささげたことは、忘れられない出来事であった。

バルセロナ日本語で聖書を読む会で説教をする。
カトリック教会で神父さんと共にミサを司る

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隠退牧師の徒然記<716>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<716>
2023年11月20日「外国の地で聖書に向かう」

聖書の言葉
「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝をする者を求めておられるからだ。」(ヨハネによる福音書4章23節)

牧師の道を歩むことになり、それぞれの場で聖書に示される神様の御心を取り次いで来た。教会は青山教会に始まり、陸前古川教会、登米教会、大塚平安教会、横浜本牧教会、横須賀上町教会、三崎教会等である。そして、幼稚園でも子供たちと共に礼拝をささげてきた。古川幼稚園、登米幼稚園、ドレーパー記念幼稚園、早苗幼稚園、伊勢原幼稚園等である。この他、外国でも礼拝を導かれているので、それらも少し記しておくことにする。最初の外国での礼拝は聖地旅行をした時である。日本基督教団出版局発行の「信徒の友」という雑誌に、年末から新年にかけて聖地旅行の案内があった。お休み中の旅であり気持が動いたのである。その時の教会にはもう一人の牧師がいたのである。知人の牧師が勤めていた教会を退任され、次の任地が決まるまで、共に教会を担ってもらうことにしていたのである。だからしばし教会を留守にすることもできる。申し込んでから知人の山鹿牧師も参加することになり、彼は外国には何回も赴いていたのでたよりになるのであった。ツアーは韓国の飛行場が集合場所であった。そこから一路エジプトに向かう。シナイ山に登ることで旅が始まったのであった。エジプトの空港からシナイ山の麓まで、かなり長いバス旅であったが夕刻には麓のホテルに落ち着く。しかし、翌日の午前2時にはシナイ山に向かうというので、早くも就寝である。午前2時くらい夜道を少し歩くとラクダの群れが待っていた。ルアーは20人であり、一人一人がラクダに乗る。ラクダを引いてくれる人がいるので、乗っていれば良い。暗い山道で、どんなところを通っているのかわからない。しかし、下山は同じ道を歩いたのであるが、一方は深い崖の道を通ったのである。明るい昼間にラクダに乗って登るとしたら、怖くて身が縮まるであろう。途中から歩いて山頂に向かったが、頂上に着いたときでもまだ暗かった。要するに日の出、ご来光を見るために夜中に山頂を目指したのであった。山頂にはすでに人がいるようで、あちらこちらで話し声が聞こえるのであった。その時、ツアーの責任者が、日の出と共に礼拝を担当してください、というのである。突然のことで戸惑ったが、やはり牧師である。旧約聖書モーセが神様の導きをいただき、このシナイ山十戒をいただいたくだりはよく知るところである。それらのことに触れながらメッセージを取り次いだのであった。東の彼方がほんのりと赤くなる。瞬く間にあたりが明るくなる。あちらこちらで聞こえていた人の声、その皆さんが何やら声たかく唱える。いわゆる感激の声をあげているのである。何やら歌が聞こえてくる。礼拝なるものをささげているようだ。こちらも礼拝をささげる。ツアーはキリスト教でもいろいろな教派の人たちで、賛美歌といってもどんな歌をと思ったが、教団の讃美歌にもある「いつくしみ深き」はどこの教派の皆さんも歌っているようである。多少、歌詞が異なるが、それぞれの歌詞でも同じ曲なので、皆さんは周辺のグループに負けじと声を大にして賛美するのであった。こうして礼拝に始まったツアーであり、聖地ではそれぞれの場所で礼拝をささげつつ、救い主の足跡を訪ねるのであった。

シナイ山
シナイ山頂で日の出を待っていた人々
死海の浜辺で礼拝をささげるツアーの皆さん

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隠退牧師の徒然記<715>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<715>
2023年11月13日「いろいろな出会いを喜びつつ」

聖書の言葉
その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたとき、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。(ヨハネによる福音書1章43節)


このところ、子どもの教会に関わることどもを記してきた。いつまでも昔のことを思い出して書き続けける思いはないのであるが、もう少しだけ記しておこう。今回は大人の皆さんとの関りである。どこの教会も婦人の皆さんが多く、教会を支えていることは共通したことである。実際、1979年に大塚平安教会に赴任した時、教会の玄関で出迎えてくださったのは婦人会の皆さんであった。男性の皆さんはお勤めがあることなので、週日に到着したこともあり、婦人の皆さんがお迎えくださったのであった。以後、婦人会の皆さんのご活躍に励まされながらのお勤めが始まる。いろいろな活動を示されるが、何よりも家庭集会がある。毎週木曜日に開催される。第一木曜日は海老名地区、第二木曜日は座間地区、第三木曜日は教会周辺地区、第四木曜日は綾瀬深谷地区である。第五木曜日の場合は相鉄沿線横浜地区であった。赴任当初はそれこそ毎週の木曜日は家庭集会に赴いていたのである。しかし、時を経るうちにもご家庭を開放される方が少なくなり、必ずしも毎週ではなくなったのである。いつもは10時30分から開催される。木曜日は8時30分から社会福祉法人綾瀬ホームの礼拝が行われる。利用者の皆さんとの礼拝、職員の皆さんとの礼拝があり、9時30分には終わるのであるが、帰宅するや家庭集会に向かうのであった。教会周辺地区以外の家庭集会は結構時間を要するのである。家庭集会では聖書のお話しに続いて皆さんとの懇談が良い学びにもなっていた。そして集会が終わるとお昼時でもあり、食事が出される。それがいつもご馳走でありがたいのであるが、家庭を提供される方がおもてなしをしてくださるので、かなり負担にもなっているようであった。それで、ある家庭集会では、集会後の食事はないことにする。簡単なお茶程度にしたのである。一時は他の家庭集会も同じ方向にしたのであるが、いつの間にか昼食が出るようになり、出席の皆さんもご持参くださるので、心身共に満たされる状況にもなるのであった。第四木曜日は家庭集会の後、午後2時から八王子医療刑務所教誨の職務があるので、車に乗ること1時間である。午前中は集会続きで、お昼はご馳走をいただき、その状態で車を運転していると睡魔がおとずれる。睡魔と戦いながら運転することもあり、車を停めてしばし寝ることもあった。家庭集会と言えばいろいろと思い出されるが、もう一つ忘れられないことがある。2013年3月から三ヶ月であるがマレーシア・クアラルンプール日本語教会のボランティア牧師として赴いた。礼拝説教で勤めていた教会や幼稚園のことなどもお話したのであった。するとある方が、小さい頃、家庭集会に出席していたと言われるのである。赴任したころ一人の婦人が幼稚園児くらいのお子さんと共に出席されていたのである。そのお子さんの上の兄弟たちはドレーパ記念幼稚園に入っていたのであるが、本人は幼稚園には行きたくないということで、母親と共に家庭集会に出席していたのである。その彼が勤めの関係でマレーシアにいたのである。おそらく30年ぶりの再会であろう。家庭集会の不思議な出会いなのである。その他にもお恵みの出会いが数々あるのであるが…。
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隠退牧師の徒然記<714>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<714>
2023年11月6日「子どもの教会を担いながら ③」

聖書の言葉
「子供たちをわたしのところにこさせなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」(マルコによる福音書10章14節)


戦争の時代になっていること、まことに悲しいことである。戦争は相手との戦いであり、当然多くの死者が出る。それを承知で、戦争により自国の繁栄、安全を謀るのである。戦争は必ず多くの戦死者がある。貴い人命を犠牲にすること、子どもの頃から教えられなければならないのである。人間の存在を大切にすること、教育の一つの使命である。そのことがないがしろにされている結果が戦争ではないかと思っている。教会学校キリスト教の学校である。中心であるイエス・キリストの教えをいただくことが目的であるが、当然、人と人とが共に生きることを示されていくのである。キリストの教えは、「神を愛し、隣人を自分のように愛しなさい」である。そのために、人間がその教えを生きるために、十字架への道を進み、人間の自己満足、他者排除を滅ぼされたのである。その教えを実践的に学んだのである。教会学校では毎年夏になると夏期学校を開催する。泊まり込みで集中的にキリストの教えを示されるのである。多くの場合、郊外に出かけ、自然と親しみながら過ごす。また楽しいことも行われる。それについては前回のブログで記している。キャンプファイヤー等でどこかの現地人の踊りを酋長を中心にして演ずる。楽しさが盛り上がるというもの。しかし、夏期学校はキリストの教えを集中的に学ぶことが目的である。ある年の夏期学校の主題を「平和を造り出す」とした。みんなで平和を考え、どのように平和を造り出すのか、学び、実践したのである。聖書はエフェソの信徒への手紙6章10節以下の示しである。「悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい」と示しつつ、次のように教えている。「立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。なおその上に、信仰を楯として取りなさい。また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。」と示されている。「神の武具を身に着けなさい」ということで、実践的に武具を作ったのである。「真理の帯」、「正義の胸当て」、「平和の履物」、「救いの兜」、「霊の剣」を作ったのであった。実際に兜を作ったり、剣を作ったりすると、戦いの勉強なのかと指摘されることも。しかし。表面上はそのようであっても、内容は平和を造り出すものなのである。聖書は平和の基は主イエス・キリストであり、叫び続けているのである。聖書・エフェソの信徒への手紙は繰り返し、平和の原点を示している。「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方をご自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、平和の福音を告げ知らされました。」(2章14-17節)
こうして教会学校は平和の教育をしているのである。
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