隠退牧師の徒然記<727>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<727>
2024年2月5日「春に向けて」

聖書の言葉
エスはお答えになった。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」
ヨハネによる福音書5章17節)

2月になり、「もう春になる」との思いがあるが、まだ春ではない。しかし、春の息吹が近づいていることは確かである。キリスト教では、この時期はカーニバルの季節でもある。キリスト教の暦は、今年は2月14日が「灰の水曜日」である。この日から受難節が始まる。イエス・キリストの苦難の日々が始まるのである。イエス・キリストは人間を救うために、十字架に架けられる道を進むことになる。キリスト教を信じる人々はイエス様のご苦難は私のためであると信じ、苦難を共にするのである。受難節は質素に歩み、贅沢はしない、そういう歩みを自らに課して過ごすのである。それは40日間続くので、それならば今のうちに美味しいものを食べ、楽しく過ごしておこうということになる。謝肉祭とかカーニバルが行われるのが今頃という訳である。日本ではそのような習慣、行事は行わないが、カーニバルの季節となると、春が近づいていることを知るのである。その受難節が始まるのが、今年は2月14日になるが、同じ日の2月14日はお二人の方の召天日であり、この日を迎えるとお二人の生前の証しを示されるのであった。一人の方は井馬栄さんである。1986年2月14日、75歳で召天されている。もう一人は笠倉祐一郎さんである。2005年2月14日、77歳に召天されている。井馬栄さんは私が1979年に大塚平安教会牧師に就任した頃、礼拝にはほとんど出席されていなかった。海上保安庁の職務であり、各地を巡っていたと言われる。数年後、定年退職され、それからは毎週の礼拝には欠かさず出席される。日野原重明さんとは若い頃に、一緒に教会生活をされたと言われる。礼拝に出席されるようになると、その熱心な信仰をいつも証しされていた。礼拝が終わり、皆さんが帰ろうとすると、席を立ちあがり、最近示されたとして聖書を朗々と読まれるのであった。牧師の健康を心配されており、青竹踏みを作ってくださる。また竹枕と言うものを作ってくださった。そば殻の代わりに細い竹を細かく切って入れるのである。ありがたく枕にしたが、痛くて眠るどころではない。いろいろと牧師の健康を支えてくださったのであった。もう一人の笠倉祐一郎さんも同じ2月14日に召天されている。ご子息の正道さんが若干20歳で召天され、牧師が病床の正道さんと関わったことなどで、正道さんと共に病院で洗礼を受けたのであった。洗礼後一ヶ月、正道さんは天に召されるのである。その後、祐一郎さんのお連れ合いの照子さんと共に教会員となり、教会の皆さんと共に過ごされていたのである。2月14日を迎えるとお二人のことを示されるのであるが、それと共に「もうすぐ春だ」との思いが強まるのである。まだ寒さが続くが、3月にもなれば、春であり、我が家の源平桃が楽しませてくれるのである。春になったら、庭仕事をしようか、散歩もしようかと思ってはいるのであるが。ハワイのフラダンスを踊る人は高齢の婦人が多いのは何故か。こんな質問でNHKテレビの「チコちゃんに叱られる」の番組があった。高齢になるとゆとりのあるものに関心があると言い、フラダンスと共に庭仕事や散歩も高齢者の特色であるとか。春になれば高齢者の特色を楽しもうかと思っているのであるが。

2月5日、この地域でも雪が降る。春のお知らせでもある。
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いくらも降らないし、車の走行も大丈夫そう。

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隠退牧師の徒然記<726>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<726>
2024年1月29日「新しい年を迎えて ⑤ 」

聖書の言葉
「あなたがたは、古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、清い生活を送るようにしなさい。」(エフェソの信徒への手紙節4章23-24節)

いつまでも新しい年を迎えての感想を記す必要はないが、もう一つだけ加えておこう。それはゴミ処理の課題である。生活していれば、必ずゴミなるものが出て来る。それらは分別してゴミ処理をするのである。燃える生ゴミや生活上不要となったものなどは火曜日と土曜日に出せる。プラゴミは月曜日である。このプラゴミが多いのである。買い物をすれば必ず包装されているのがプラなのである。我が家がこんなにプラゴミが多いと思ってゴミ捨て場に持っていくと、もういっぱいなのである。横浜市はゴミ捨て場に「カラスいけいけ」の大きなネットの駕籠が置いてある。今までは二つの駕籠であったが、プラゴミの日は三つの駕籠が置かれる。午前9時までにゴミを出すのであるが、8時ごろにゴミ出しに行くと、もはやいっぱいであり、上から押し込んで駕籠に入れるのである。水曜日は「ペットボトル、缶、ビン」で同じ袋に入れて出せるのである。こうしてゴミ処理生活をしているが、最近は結構大変にもなっている。「燃えるゴミ」の日は、いろいろと出せるので、毎日それとなく身辺整理をしているので、結構な量にもなっている。以前、現役の頃は、何もかも大事なもので、いずれ何かの役に立つとして整理はしなかった。それが隠退した今、必要であったものが、何の役にも立たなくなっているのである。一番困っているのが書籍である。以前は、書籍は大切であり、ひたすら買い求めていた。今では、本棚に収めることもできず、戸棚の中の段ボールに収められている。いろいろ集めた資料等がうず高くなっている。大切であったと思っていたものが、今はゴミ捨ての決断になっているのである。写真もどうしたら良いものかと迷っている。今は写真をアルバムに整理することはない。スマホなるものに収められており、古くなったものは消去すればよい。残されている写真をゴミとして捨てるには、考え込んでしまうのである。年賀状も戸棚を独占していた。現役の頃は毎年200通以上はいただいており、それが30年以上も戸棚の主にさせておいたのであるから、家が狭くなるものである。年賀状ごときで家は狭くならないが、これは一例なのであり、今までは何も処理しなかったということである。それで、終活なるものを初めているのであるが、とにかく身辺整理をしておこうと、いろいろとゴミ処理をしているのである。庭の片付けもあり、多い時は45リットルのゴミ袋が四つも五つにもなるときがある。そのようときはゴミ捨て場まで300mくらいあるのだが、二回、三回に分けて捨てに行くのである。以前、もう少し若い時はなんとも思わなかったが、最近は困難を覚えるようになっている。そんな状況を迎えていた時、スペイン・バルセロナ在住の娘の羊子家族が一時帰国する。羊子は今回も各地でリサイタルや講演等をすることであった。羊子の連れ合いには、鈴木家の庭が雑草等で生い茂っていたので、きれいに処理くれたし、いろいろと片づけてくれたのであった。その時、処理したゴミを彼が捨ててくれたのであるが、通常のごみ捨てを知った羊子がゴミ捨て用の台車を購入してくれたのである。これがあると、今まで二回三回に分けて捨てていたゴミ処理は一度にすみ、今年はごミ捨てが楽しくなりそう。いっぱい身辺整理をすることに。

ゴミ出し用の台車
ゴミはもっとたくさん積めるので。

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隠退牧師の徒然記<725>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<725>
2024年1月22日「新しい年を迎えて ④ 」

聖書の言葉
「あなたがたは、古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、清い生活を送るようにしなさい。」(エフェソの信徒への手紙節4章23-24節)

昨日の1月21日は三崎教会の講壇に招かれており、新年を迎えて初めて赴くことになる。しかし、天気予報では関東地方の南部でも雪が降るかもしれないとのことで、もし雪が降ったら辞退しようかと思っていた。前にも三崎教会にいくことになっていたのが、我が家の子どもがコロナの濃厚接触者であり、急であったが連絡する。説教の原稿ができているので、礼拝では読んでいただこうかと思っていたが、教会では説教者を立てて礼拝を守ったということである。今回も雪であったら、辞退させていただこうかと思ったが、雪は降ることなく、雨の一日であり、予定通り教会の講壇に立つことができた。三崎教会は自宅から車で1時間の距離である。三浦半島の最先端にあり、三崎漁港もすぐ近くである。この三崎教会の礼拝をお手伝いするようになったのは2012年7月からである。2010年3月に30年間務めた大塚平安教会を退任し、その後、一年間は無任所牧師であったが、2011年6月には隠退届を提出し、隠退牧師となる。それでも前任の教会を退任するや、その4月から半年間であるが横浜本牧教会の代務牧師を勤めたり、その教会付属の幼稚園の園長を担ったりする。そして、その後は月に一回であるが横須賀上町教会の礼拝のお手伝いをするようになっていた。2012年の6月に神奈川教区の定期総会が清水ヶ丘教会で開催される。もはや隠退しているので正議員ではないが、隠退牧師は准議員でもあり、総会を覗く意味で清水ヶ丘教会に赴く。既に総会は始まっており、教会の玄関の受付にはいろいろな展示物等があり、それとなく見ていると、そこへ三崎教会の生野牧師がこられたのである。生野牧師とは何かと親しくお交わりをいただいている。先生は長年、牧師と共に教誨師を担っており、その後に私が教誨師になったので何かとアドバイスをくださっていた。久しぶりにお会いしたので、その後の歩み等を報告したのである。すると生野牧師は三崎教会にもお手伝いを頼みたいと言われる。実は、生野牧師は三崎教会の主任牧師を退任されており、今は代務者であると言われる。生野牧師も年齢が増したこともあり若い牧師を招いたと言われる。しかしその牧師は2年で退任さたので、やむなく代務者として関わることになり、説教は数人の牧師に依頼していると言われるのである。その数人の説教者に加わってもらいたいというのである。特に断る理由がないので受託したのであった。早速2012年7月から隔月であるが三崎教会の説教を担当することになったのである。その頃は夫婦共に72歳であり、喜んで三崎教会に赴いたのであった。礼拝が終わると、足を伸ばせばすぐ近くにある三崎漁港に行き、センターでの買い物を楽しむ。また美味しいお刺身定食も。また、沿道には三崎の農産物を売る店があり、車を停めては買い求める楽しみがあった。その後、12年以上にもなり、状況が変化する。連れ合いは体調がよくないので行かれない。私もそろそろ車の免許を返納しようかと思っている。電車やバスで行かれないこともないが、なかなか赴くことが困難になっている。新しい年を迎え、最初の三崎教会に赴きつつ、お招きがあれば講壇に立とうかと思い始めている。

三崎教会の講壇で説教をする。
礼拝後は三崎港のセンターで海の幸の買い物
三崎の沿道には農産物を売る店が

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隠退牧師の徒然記<724>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<724>
2024年1月15日「新しい年を迎えて ③ 」

聖書の言葉
「あなたがたは、古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、清い生活を送るようにしなさい。」(エフェソの信徒への手紙節4章23-24節)

新しい年を迎えたとき、やはり、思いを新たにして歩みだしている。一つは「主題」を掲げることである。現役として教会に在任している頃、年が改まると「主題」を決めては、皆さんと共に新しい歩みを始めていた。現役を退任してから数年は「主題」なるものは決めなかったが、六浦谷間の集会として週報を発行しているので、その週報に「主題」を掲げるようにしたのである。六浦谷間の集会は、ほとんど家族礼拝であり、時には知人が出席されるとしても、「主題」は家族のためでもある。家族として、祝福される歩みを願っているからである。それで六浦谷間の集会の週報に主題を掲げたのは2014年からある。集会を始めたのは2010年11月28日からであるが、当初は週報なるものは発行せず、礼拝順序を記したものに過ぎなかった。そして、集会を開いているのだから、やはり週報なるものが必要であろうと、2011年5月29日の礼拝から週報を発行するようになったのである。その時点では「主題」なるものを掲げることは思いもつかなかった。その後、3年間は「主題」なるものはなしで週報を発行していたが、やはり週報には「主題」を掲げることで本来のものになると示され、2014年1月から週報に「主題」を掲げることにしたのである。2024年を迎え、この10年間、いろいろな「主題」を示されながら歩んできたのである。それではこの10年間の主題を顧みておこう。
2014年主題「一生信仰」、聖句「わたしは、神に近くあることを幸いとします。」詩編73編28節
  2015年主題「賜物に専念する」、聖句「わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っているのです。」ローマの信徒への手紙12章6節
2016年主題「お恵みを感謝しつつ」、聖句「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。」コリントの信徒への手紙<二>12章9節
2017年主題「神さまのお導きに委ねつつ」、聖句「わたしたちは、霊の導きに従って生きているのなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。」ガラテヤの信徒への手紙5章25節
2018年主題「キリストの香りを放ちつつ」、聖句「この香は聖なる者たちの祈りである。」ヨハネの黙示録5章8節
2019年主題「ナルドの香油をささげつつ」、聖句「一人の女性が、純粋で高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持ってきて、香油をイエスの頭に注いだ。」マルコによる福音書14章43節
2020年主題「神の国に生きながら」、聖句「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」ルカによる福音書17章21節
2021年主題「主の導きに委ねつつ」、聖句「あなたの未来には希望がある。」エレミヤ書31章17節
2022年主題「新しい命を生きる」、聖句「復活の主と共に、私達も新しい命を生きるのです。」ローマの信徒への手紙6章4節
2023年主題「祝福を与えられつつ」、聖句「祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。」ペトロの手紙<一>3章9節
以上のように主題を示され、一年間の歩みが導かれてきた。そして、今年は。
2024年主題「御心をいただきながら」、聖句「心から神の御心を行い、人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。」エフェソの信徒への手紙6章9節

この年も「主題」を示されながら歩みたいのである。

週報に掲げている「主題」
今回は獅子柚子が5個実ったが、1月14日に最後の1個が落下する。左から普通のみかん、中央が庭に実っている柚子、そして右が獅子柚子。

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隠退牧師の徒然記<723>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<723>
2024年1月8日「新しい年を迎えて ② 」

聖書の言葉
「あなたがたは、古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、清い生活を送るようにしなさい。」(エフェソの信徒への手紙節4章23-24節)

新しい年を迎えたとき、すがすがしい思いで迎えたものである。というのは、今までは新しい年を迎えても、庭は雑草が生い茂っており、やり残したような思いで過ごしていたのである。ところが、2024年の新年の鈴木家の庭はきれいさっぱりに整備されている。雑草もさることながら、庭のガラクタが片づけられており、本当にきれいな庭になっていた。雑草やガラクタでにぎわっていた庭については、いつも気にしながら整理できなかったのである。ところが羊子家族が一時帰国して、羊子の彼が雑草やガラクタの整理をしてくれたのであった。羊子もまた人口芝等を敷いたりして庭の整理をしてくれたのであった。羊子家族は昨年の11月16日に一時帰国した。今回もいくつかのリサイタルが予定されており、関西は京都、神戸、岡山まで遠征している。帰国する前から、庭の整理はするから、何もしなくても良いと言われていた。気持ちはあってもなかなかできない庭の整理である。羊子の彼が整理をするということで頼りにしていたのである。そして、帰国するや、雑草はもちろん、下水道の整備、庭の片づけ等をしてくれる。見違えるようになった庭になり、近所の皆さんも口をそろえて整理された庭を評価してくれるのであった。前任の教会を退任する前に、今までの鈴木家を新築する。庭がかなり広いので、隠退したら庭を相手に花や野菜を植えては楽しもう、と思っていた。実際、2010年4月から住むようになり、連れ合いのスミさんには、いろいろな花や野菜を楽しんでいたのである。そのうち私も庭仕事をするつもりでいた。しかし、隠退するもののいくつかの教会からお招きをいただき、説教を担当するようになる。教会の牧師の勤めはないが、幼稚園の園長として早苗幼稚園で2年、伊勢原幼稚園で3年、全部で5年間のお勤めである。その他、外国に行くこと、バルセロナには2011年、2012年、2014年に二、三ヶ月ずつ行っている。2013年にはマレーシア・クアラルンプールに三ヶ月赴いている。庭師仕事ができなかった言い訳をしているが、思いはあってもなかなかできなかったというのが本当である。今、きれいになった庭を眺めては、今年は庭仕事をしよう、とは思っているが、いつの間にか草ぼうぼうであったりして。庭に限らず、いろいろと片付けがあり、今年もまた日々忙しいのかもしれない。隠退したら、あれもする、これもすると思っていたが、思いはあってもできなくなっている。身体が動かなくなっているからである。知人の賀状が自らの思いとなっている。「80歳の壁をこえるとこうなるのか感じることの多い日々となりました。」まさにその通りである。その通りであるものの、思いは大きく持っていることにしたい。羊子はバルセロナに帰る前に、整理された庭の一角にいくつかの野菜の種をまいた。孫の義也が一生懸命水を与え、これからはジイジが水やってねと言い残している。昨年も一時帰国した時、野菜の種をまき、結構収穫したものである。種をまけば必ず成長するので、今後の楽しみにすることにしよう。

雑草が生い茂る庭、孫の義也君が草の整理を。
雑草を整理し、きれいになった庭。人口芝を羊子が敷き詰めてくれる。
庭の一角に野菜の種をまいた羊子

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隠退牧師の徒然記<722>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<722>
2024年1月1日「新しい年を迎えて」

聖書の言葉
「あなたがたは、古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、清い生活を送るようにしなさい。」(エフェソの信徒への手紙節4章23-24節)

「もう書くことがないからブログをやめようかと思う」と言うと、「楽しみにしているので、続けて」と我が家の子どもに言われる。そんな思いでいるとき、新年を迎え、年賀状をいただく。皆さんから新年のご挨拶をいただいたのであるが、数人の方が「ブログを楽しく読んでいます」と記されている。このようなお気持ちを示されると、駄文でも読んでくださる方があるので、続けることにしたのである。前回は6回にわたり「外国の地で聖書に向かう」と題して記したのであるが、それ以上は外国の地で聖書に向かうことはないので終わりとする。これからは近況を記しておくことにする。このブログを読んでくださる方は、老いゆくかつての牧師の、その後が少し気になるのであろう。最近のことと言えば、年末のクリスマスであろう。2023年のクリスマスは久しぶりに大塚平安教会の講壇にお招きをいただく。その年の4月頃、5月のペンテコステ礼拝と12月のクリスマス礼拝のお招きをいただいていたのである。その5月のペンテコステ礼拝には、連れ合いのスミさんも共に出席させたかったのである。連れ合いのスミさんには2022年9月になって体を損ね三週間の入院があった。退院するものの歩行が困難になり、以後は寝たままの生活になったのである。それで、リクライニング車椅子に乗せ、介護用の車をレンタルして出席の予定であった。ところが当日の一週間前くらいから病状がよくなく、その計画は反故になる。そして迎えたクリスマスである。ペンテコステ礼拝と同じようにクリスマス礼拝に連れ合いのスミさんを出席させたいのである。子どもたちみんなの協力があり、今回は実行することができた。リクライニング車椅子なので、楽にすることもできる。大塚平安教会は新会堂となっており、礼拝堂は二階である。しかし、エレベーターが設置されている。私は5月に皆さんとお会いしているが、連れ合いのスミさんは久しぶりに皆さんとお会いしたのである。知的後退もあるが、皆さんのご挨拶をいただいたとき、お名前を言っては応答する。皆さんもご自分を覚えてくださっていたということで喜んでくださるのであった。その連れ合いを「スミ先生」と言ってくださる方がおられる。教会学校の先生をしていることは確かであるが、教会学校とは関係のない方も「スミ先生」と言ってくださる。教会の皆さん、幼稚園の園児のお母さんたちまで浸透しているのである。スミ先生が関わる方に心をくだいて対処しているからであろう。「本当にお世話になりました」とご挨拶をいただくのであった。忘れられないエピソードを聞いている。1969年に結婚するのであるが、明治学院に勤めていた頃、学園紛争が盛んであり、同学院もご多分に漏れず院長をつるし上げることに。壇上に上げられている院長を助け出したのがスミさんであるという。助け出されて院長が結婚式の祝会で、祝辞として述べているのである。思い立ったら突入する、そういう姿勢が「スミ先生」なのであろう。大塚平安教会において、久しぶりに皆さんとお会いできたこと、連れ合いのスミさんも、いろいろと蘇って、元気が与えられたのであった。このブログは、新年を迎えたとき、元気になったスミさんと共に始まったことを記しておきたかったのである。

久しぶりにクリスマス礼拝で大塚平安教会の講壇に立つ。
連れ合いのスミさんを介護用の車で大塚平安教会に。

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隠退牧師の徒然記<721>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<721>
2023年12月25日「外国の地で聖書に向かう ⑥ 」

聖書の言葉
「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝をする者を求めておられるからだ。」(ヨハネによる福音書4章23節)

前回はマレーシア・クアラルンプール日本語集会での礼拝について記したが、今回は同集会の婦人会、若婦人会で聖書に向かったことについて記しておこう。日本のキリスト教は女性の皆さんが多いことについては教勢報告等で示されているが、ここクアラルンプールも同じである。こちらの集会で婦人会の活動があった。聖書を学ぶ会とお仕事会である。クアラルンプール日本語集会は日曜日の礼拝は基督兄弟団の集会室を借りて行っているが、その他の集会については集会に所属する皆さんの家で順次開催されていた。だから皆さんの家にお招きをいただくことで、生活状態を示されるのであった。ほとんどの皆さんは高層マンションの一室であり、窓からの景色は、大げさに言えば天国からの眺めのようであった。聖書を読み、それについての解説とメーセージを示す。そしてその後は懇談であるが、皆さんのお証しを示されながら学びを与えられる。そして楽しい食事をいただくのである。教会と食事については、前任の教会で意味深く示されている。神様の御心を示され、そして楽しい食事をいただくとき、心身共に満たされるのであった。クリスマスやイースターではポトラックで、皆さんが持ち寄りの食べ物を分け合っていただく。そして通常の礼拝後は、必ず食事が用意されていた。建築資金のためでもあったが婦人会が麺類を壮年会がカレーライス等を用意し、三々五々共にいただくのであった。クアラルンプールの集会でも、いつも食事のお交わりが導かれていた。外国の地にいると日本の食べ物が求められる。いつも日本的な食事をいただくことになる。こうした婦人会の集いのお交わりをいただくのであったが、若婦人会の集いがあった。婦人会は日本語集会に所属する皆さんであったが、若婦人会は市内に在住する女性の皆さんであった。中心になっているのは日本語集会に所属される方であるが、ほとんどの方はキリスト者ではない。お連れ合いが営業のお仕事で滞在しているのである。その皆さんが聖書の集いということで集まっているのである。いつもは6、7名の皆さんである。従って、集会は聖書の入門的な内容である。皆さんは熱心に質問され、いろいろな学びを与えられるのであった。若婦人会は毎回日本語集会に所属する方の家で開かれていた。それがまた高層マンションの最上階で、まさに天国から下界を見下ろすのであった。こちらの集会が終わると、多くの場合、食事処に行くのであった。日本の食事を提供する店があるのでいつもそこでいただく。「ちらし寿司」もあるが「バラバラ」と称するのであった。そのバラバラもいただくが、魚の煮つけ等、日本的な食事を堪能できたのである。今はマレーシアに滞在しているのであるが、やがて日本に帰国されるであろう。ここでの聖書の学びが新しい歩みの支えとなることを願っている。

若婦人会で高層マンションに居住される家に行く
日本食を提供する店で、焼き魚定食

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