隠退牧師の徒然記<725>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<725>
2024年1月22日「新しい年を迎えて ④ 」

聖書の言葉
「あなたがたは、古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、清い生活を送るようにしなさい。」(エフェソの信徒への手紙節4章23-24節)

昨日の1月21日は三崎教会の講壇に招かれており、新年を迎えて初めて赴くことになる。しかし、天気予報では関東地方の南部でも雪が降るかもしれないとのことで、もし雪が降ったら辞退しようかと思っていた。前にも三崎教会にいくことになっていたのが、我が家の子どもがコロナの濃厚接触者であり、急であったが連絡する。説教の原稿ができているので、礼拝では読んでいただこうかと思っていたが、教会では説教者を立てて礼拝を守ったということである。今回も雪であったら、辞退させていただこうかと思ったが、雪は降ることなく、雨の一日であり、予定通り教会の講壇に立つことができた。三崎教会は自宅から車で1時間の距離である。三浦半島の最先端にあり、三崎漁港もすぐ近くである。この三崎教会の礼拝をお手伝いするようになったのは2012年7月からである。2010年3月に30年間務めた大塚平安教会を退任し、その後、一年間は無任所牧師であったが、2011年6月には隠退届を提出し、隠退牧師となる。それでも前任の教会を退任するや、その4月から半年間であるが横浜本牧教会の代務牧師を勤めたり、その教会付属の幼稚園の園長を担ったりする。そして、その後は月に一回であるが横須賀上町教会の礼拝のお手伝いをするようになっていた。2012年の6月に神奈川教区の定期総会が清水ヶ丘教会で開催される。もはや隠退しているので正議員ではないが、隠退牧師は准議員でもあり、総会を覗く意味で清水ヶ丘教会に赴く。既に総会は始まっており、教会の玄関の受付にはいろいろな展示物等があり、それとなく見ていると、そこへ三崎教会の生野牧師がこられたのである。生野牧師とは何かと親しくお交わりをいただいている。先生は長年、牧師と共に教誨師を担っており、その後に私が教誨師になったので何かとアドバイスをくださっていた。久しぶりにお会いしたので、その後の歩み等を報告したのである。すると生野牧師は三崎教会にもお手伝いを頼みたいと言われる。実は、生野牧師は三崎教会の主任牧師を退任されており、今は代務者であると言われる。生野牧師も年齢が増したこともあり若い牧師を招いたと言われる。しかしその牧師は2年で退任さたので、やむなく代務者として関わることになり、説教は数人の牧師に依頼していると言われるのである。その数人の説教者に加わってもらいたいというのである。特に断る理由がないので受託したのであった。早速2012年7月から隔月であるが三崎教会の説教を担当することになったのである。その頃は夫婦共に72歳であり、喜んで三崎教会に赴いたのであった。礼拝が終わると、足を伸ばせばすぐ近くにある三崎漁港に行き、センターでの買い物を楽しむ。また美味しいお刺身定食も。また、沿道には三崎の農産物を売る店があり、車を停めては買い求める楽しみがあった。その後、12年以上にもなり、状況が変化する。連れ合いは体調がよくないので行かれない。私もそろそろ車の免許を返納しようかと思っている。電車やバスで行かれないこともないが、なかなか赴くことが困難になっている。新しい年を迎え、最初の三崎教会に赴きつつ、お招きがあれば講壇に立とうかと思い始めている。

三崎教会の講壇で説教をする。
礼拝後は三崎港のセンターで海の幸の買い物
三崎の沿道には農産物を売る店が

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