隠退牧師の徒然記<722>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<722>
2024年1月1日「新しい年を迎えて」

聖書の言葉
「あなたがたは、古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、清い生活を送るようにしなさい。」(エフェソの信徒への手紙節4章23-24節)

「もう書くことがないからブログをやめようかと思う」と言うと、「楽しみにしているので、続けて」と我が家の子どもに言われる。そんな思いでいるとき、新年を迎え、年賀状をいただく。皆さんから新年のご挨拶をいただいたのであるが、数人の方が「ブログを楽しく読んでいます」と記されている。このようなお気持ちを示されると、駄文でも読んでくださる方があるので、続けることにしたのである。前回は6回にわたり「外国の地で聖書に向かう」と題して記したのであるが、それ以上は外国の地で聖書に向かうことはないので終わりとする。これからは近況を記しておくことにする。このブログを読んでくださる方は、老いゆくかつての牧師の、その後が少し気になるのであろう。最近のことと言えば、年末のクリスマスであろう。2023年のクリスマスは久しぶりに大塚平安教会の講壇にお招きをいただく。その年の4月頃、5月のペンテコステ礼拝と12月のクリスマス礼拝のお招きをいただいていたのである。その5月のペンテコステ礼拝には、連れ合いのスミさんも共に出席させたかったのである。連れ合いのスミさんには2022年9月になって体を損ね三週間の入院があった。退院するものの歩行が困難になり、以後は寝たままの生活になったのである。それで、リクライニング車椅子に乗せ、介護用の車をレンタルして出席の予定であった。ところが当日の一週間前くらいから病状がよくなく、その計画は反故になる。そして迎えたクリスマスである。ペンテコステ礼拝と同じようにクリスマス礼拝に連れ合いのスミさんを出席させたいのである。子どもたちみんなの協力があり、今回は実行することができた。リクライニング車椅子なので、楽にすることもできる。大塚平安教会は新会堂となっており、礼拝堂は二階である。しかし、エレベーターが設置されている。私は5月に皆さんとお会いしているが、連れ合いのスミさんは久しぶりに皆さんとお会いしたのである。知的後退もあるが、皆さんのご挨拶をいただいたとき、お名前を言っては応答する。皆さんもご自分を覚えてくださっていたということで喜んでくださるのであった。その連れ合いを「スミ先生」と言ってくださる方がおられる。教会学校の先生をしていることは確かであるが、教会学校とは関係のない方も「スミ先生」と言ってくださる。教会の皆さん、幼稚園の園児のお母さんたちまで浸透しているのである。スミ先生が関わる方に心をくだいて対処しているからであろう。「本当にお世話になりました」とご挨拶をいただくのであった。忘れられないエピソードを聞いている。1969年に結婚するのであるが、明治学院に勤めていた頃、学園紛争が盛んであり、同学院もご多分に漏れず院長をつるし上げることに。壇上に上げられている院長を助け出したのがスミさんであるという。助け出されて院長が結婚式の祝会で、祝辞として述べているのである。思い立ったら突入する、そういう姿勢が「スミ先生」なのであろう。大塚平安教会において、久しぶりに皆さんとお会いできたこと、連れ合いのスミさんも、いろいろと蘇って、元気が与えられたのであった。このブログは、新年を迎えたとき、元気になったスミさんと共に始まったことを記しておきたかったのである。

久しぶりにクリスマス礼拝で大塚平安教会の講壇に立つ。
連れ合いのスミさんを介護用の車で大塚平安教会に。

noburahamu2.hatenadiary.org