隠退牧師の徒然記<723>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<723>
2024年1月8日「新しい年を迎えて ② 」

聖書の言葉
「あなたがたは、古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、清い生活を送るようにしなさい。」(エフェソの信徒への手紙節4章23-24節)

新しい年を迎えたとき、すがすがしい思いで迎えたものである。というのは、今までは新しい年を迎えても、庭は雑草が生い茂っており、やり残したような思いで過ごしていたのである。ところが、2024年の新年の鈴木家の庭はきれいさっぱりに整備されている。雑草もさることながら、庭のガラクタが片づけられており、本当にきれいな庭になっていた。雑草やガラクタでにぎわっていた庭については、いつも気にしながら整理できなかったのである。ところが羊子家族が一時帰国して、羊子の彼が雑草やガラクタの整理をしてくれたのであった。羊子もまた人口芝等を敷いたりして庭の整理をしてくれたのであった。羊子家族は昨年の11月16日に一時帰国した。今回もいくつかのリサイタルが予定されており、関西は京都、神戸、岡山まで遠征している。帰国する前から、庭の整理はするから、何もしなくても良いと言われていた。気持ちはあってもなかなかできない庭の整理である。羊子の彼が整理をするということで頼りにしていたのである。そして、帰国するや、雑草はもちろん、下水道の整備、庭の片づけ等をしてくれる。見違えるようになった庭になり、近所の皆さんも口をそろえて整理された庭を評価してくれるのであった。前任の教会を退任する前に、今までの鈴木家を新築する。庭がかなり広いので、隠退したら庭を相手に花や野菜を植えては楽しもう、と思っていた。実際、2010年4月から住むようになり、連れ合いのスミさんには、いろいろな花や野菜を楽しんでいたのである。そのうち私も庭仕事をするつもりでいた。しかし、隠退するもののいくつかの教会からお招きをいただき、説教を担当するようになる。教会の牧師の勤めはないが、幼稚園の園長として早苗幼稚園で2年、伊勢原幼稚園で3年、全部で5年間のお勤めである。その他、外国に行くこと、バルセロナには2011年、2012年、2014年に二、三ヶ月ずつ行っている。2013年にはマレーシア・クアラルンプールに三ヶ月赴いている。庭師仕事ができなかった言い訳をしているが、思いはあってもなかなかできなかったというのが本当である。今、きれいになった庭を眺めては、今年は庭仕事をしよう、とは思っているが、いつの間にか草ぼうぼうであったりして。庭に限らず、いろいろと片付けがあり、今年もまた日々忙しいのかもしれない。隠退したら、あれもする、これもすると思っていたが、思いはあってもできなくなっている。身体が動かなくなっているからである。知人の賀状が自らの思いとなっている。「80歳の壁をこえるとこうなるのか感じることの多い日々となりました。」まさにその通りである。その通りであるものの、思いは大きく持っていることにしたい。羊子はバルセロナに帰る前に、整理された庭の一角にいくつかの野菜の種をまいた。孫の義也が一生懸命水を与え、これからはジイジが水やってねと言い残している。昨年も一時帰国した時、野菜の種をまき、結構収穫したものである。種をまけば必ず成長するので、今後の楽しみにすることにしよう。

雑草が生い茂る庭、孫の義也君が草の整理を。
雑草を整理し、きれいになった庭。人口芝を羊子が敷き詰めてくれる。
庭の一角に野菜の種をまいた羊子

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