隠退牧師の徒然記<500>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<500>
2019年9月30日「随分と書いたもんだと」


聖書の言葉
エスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。
ヨハネによる福音書21章25節)


ブログが500回にもなった。随分と書いたもんだと、自分ながら感心している。「隠退牧師の徒然記」としてのブログが500回なのであり、このほかにも「スペイン滞在記」が70回、「受難の門を見つめつつ」が50回、「聖誕の門を仰ぎ見つつ」が63回、「常夏の国にて」が75回公開しているので258回が加わり、合計758回の執筆となる。「隠退牧師の徒然記」の前は、2006年6月からブログを書き始めており、2007年3月まで毎日書いていた。このブログには回数が記録されてないのでカウントできない。しかし、その後はしばらく書くことがなく、再開するのは現役を退き無任所教師になった2010年9月25日からで、2011年4月1日まで「無任所牧師の所見」と題して186回を書いている。そして、それからは「隠退牧師の徒然記」として書き始めるのである。正式なカウントではできないが1500回くらいは書いていることになる。随分と書いたもんだと、何回も関心している。
今は、なるべく週に一度くらいは書くようにしているが、書くとなるとどうしても昔の思い出話になってしまうのである。それでも昔と現代を結び合わせて、示されることを記しているのである。現役を退いてはいるが、幼稚園の園長としての職務が与えられているので、記録に残しておきたい事柄は絶えない。それでも幼稚園は週三日の執務であり、比較的自由な時間が与えられているのである。自由な時間があれば、若い頃は軽登山、ハイキング等に費やすのであるが、今はその力がない。しかし、書くことだけは余力があるので、せっせと書くようにしている。
書くことに希望を持っていたのは若いころからである。小説家への思いはあったが、そんなに才能があるとは思わなかった。それでも書くことの意欲はあったのである。絵を描く皆さんはスケッチブックを持って歩く。それに対して画帳ならぬメモ帳である。おかれている場をスケッチするかのように文章で表現するのである。そのような文章修業が今日に及んでいるのであった。ブログを始めるのは2006年からである。その頃、今のドレーパー記念幼稚園の園長が副園長的にかかわっていた。そして、牧師・園長用としてブログを開設したから、書くように勧められたのである。とはいえ、なかなか忙しくてブログには向かなかった。と言うよりインターネットに馴染んでいないので億劫なこともある。しかし、せっかく書く機会を与えてくれたのであるから、書いてみようかと思うようになる。そして書き始めたのであるが、書いたことが公開されることで、責任と使命を感じるようになる。書き始めるや毎日書いていたのである。
今の時代、長い文章は読まれないのであるが、生きている限り現状を書き残しておきたい。

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2006年から書き始めたブログ。「福音日記」と「無任所教師の所見」
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スペイン滞在記、マレーシア・クアラルンプール滞在記
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「隠退牧師の徒然記」、第六巻を発行する予定
noburahamu2.hatenadiary.org