隠退牧師の徒然記<685>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)時<685>
2023年4月17日「いつの間にか異動している感じで」

聖書の言葉
信者たちは、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を乞賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。(使徒言行録2章44-47節)

自分で定めた人生行路を着々と進める人がいる。たいしたものだと感心している。しかし、思わぬことで、この道を断念することもある。これまでも経験しているのである。神学生の時、卒業後の赴任先が決まらないので、奉仕していた教会に籍を置き、何かの仕事につきながら教会の勤めをすることにした。これで、ある程度、自分の人生行路を定めたと思っていた。もはや神学校の卒業が迫っていた。そしたら、突然、教会のお招きがあり、異なった人生を歩むことになる。そこで、4年も務めたころ、突然、宮城の教会への赴任となる。そして、宮城の教会で6年を勤め、二つの教会の牧師になり、これから本格的に取り組もうとしていた時、また突然のお招きをいただくことになる。宮城県の教会でお勤めをしていたものの、いずれは神奈川県の中にある教会のお勤めをしたいと思っていた。横浜には高齢になりつつの両親がいるからである。一緒に住むというのではなく、できれば近くにいて見守りたいと思っていたのである。そんな願いがかなえられる。しかし、それは突然のことであり、あっという間の異動であった。教会の牧師を担いながらも、教会幼稚園の園長にもなり、全国教会幼稚園園長会が箱根で開催されたので、参加したのであった。5月の連休の頃である。その時、知人が宮城の自宅に電話をよこされた。連れ合いが応対し、今は箱根にいると伝えたので、その箱根へ連絡されたのである。一つの教会の牧師が、すぐに退任するので、速やかに赴任する後任を求めているということであった。早速、会議の途中であったがその教会に赴く。同じ神学校の先輩が牧する教会であり、その先輩は日本基督教団の幹事に就任されるので、教会を退任するということであった。すぐにも就任してもらいたいと言われるが、こちらとしても段取りがある。まず、二つの教会に辞任の申し出をする。それぞれ教会総会で辞任が承認される。結局、新しい教会に赴任するのは9月と言うことになり、今までの教会は8月まで勤めることになる。新しく赴任する教会は牧師が6月で辞任されたので、7月と8月は牧師不在と言うことになったのである。
辞任が決まるや引っ越しの準備をするのであるが。丁度夏休みにもなり、まとまりやすかったと思う。そして8月の末に宮城の教会を後にしたのであるが、多くの皆さんが教会の庭にお集り下さり、見送ってくださる。宮城で生まれた三番目の子どもと5人が車で出発するのであるが、教会の青年が車を運転してくださることになり、結局、その青年が神奈川県にある教会まて車を運転してくれたのである。その頃は東北自動車道も全面開通しており、一路神奈川へと向かったのであった。神奈川県綾瀬市にある大塚平安教会である。車から降りて教会の玄関に入ったとき、婦人会の皆さんが出迎えてくれた。壮年会の皆さんはお勤めがあるので、誰もおられなかったが、高齢の男性がおられた。今日まで教会を担ってこられた方である。教会に到着したのはお昼近くでもあり、ご用意くださっていた昼食を皆さんと共にいただきながら、最初のお交わりが導かれたのである。この最初のお食事が、この後の30年間を指し示しているかのようであった。礼拝が信仰の糧であるなら食事の交わりは礼拝に向かう糧でもあるからである。そのような礼拝の歩みが始まるのである。

1968年に建設の大塚平安教会。その11年後に赴任する。

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