隠退牧師の徒然記<591>

牧師の隠退徒然記(2016年3月1日~)<591>
2021年6月28日「誰かが担いつつ」

聖書の言葉
(ご復活のイエス様は)、次いでヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。(コリント人への手紙<一>15章7-8節)


6月24日は前週の木曜日であったが、その日はしばし歩みを振り返ったのであった。一般の社会では何の意味もないが、日本基督教団に属する人々は、心にとめる日でもあった。この日は「日本基督教団」が設立された日であり、それは1941年であるから、今年で創立80年ということになる。その頃の日本はアジア侵略で意気盛んであり、何事も国が結束して国力を高めることであった。日本のキリスト教は明治の文明開化と共に諸教派が流入し、それぞれの信仰において歩んでいたのである。そのような状況であったが、国が一つになって戦っているのであり、キリスト教の諸教派も一つになることの指導が行われたのである。それで1941年に諸教派が合同して設立されたのが日本基督教団であった。もっとも必ずしも国の強制ばかりではなく、諸教派が一つになることが教派内でも話し合われていたのである。その頃はまだ太平洋戦争が勃発していない。太平洋戦争はその年の12月8日に、日本軍がアメリカ軍の真珠湾攻撃により始まるのであり、設立された日本基督教団であったが、戦争の厳しい状況の中で信仰の歩みをするのであった。合同教会になったが、太平洋戦争のさなか、外国の宗教とされたキリスト教に対しては厳しく監視されつつ歩んだのである。そして1945年に日本が敗戦を宣言した時、合同教会であった諸教派の人々は、元の教派に戻っていくのである。しかし、せっかく合同したのであるからと、そのまま合同教会として残った。そこから真の日本基督教団の歩みが始まったと言えるのである。
このところで日本基督教団の経過とか、状況とかを説明するつもりはない。こんなところで論ずることはできない。示されていることは、このような合同教会という組織において、担う人々のいるということである。担う人々はそれぞれの教会に属する牧師や信徒の皆さんなのである。それぞれの教会に遣わされており、それぞれの教会のお勤めがあるのであるが、それと共に合同教会としての日本基督教団の職務を担うということである。考え方からすれば、「余計な事」を担うことになる。自分の属する教会でも、何かと職務があるのに、自分の教会以外のことをしている、との意見も出てくるのである。そのような意見をいただきながら、実は私も「余計な事」をしたのである。2002年から2010年まで日本基督教団総会書記として選任され、8年間も務めたのであった。日本基督教団は2年に一度、総会を開催する。その総会の職務もあるが、書記としての勤めはいろいろとある。教会の牧師、幼稚園の園長、二つの施設の嘱託牧師、刑務所教誨師、少年員篤志面接委員等の職務を持ちながら務めたのであった。人によっては「余計な事」であるが、大切な職務を担わせていただいたと示されている。私のような器であっても…。

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神奈川教区の総会。以前の総会であり、大勢の人々が一堂に会して会議を行う。
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2002年の日本基督教団総会で書記に選任される。
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新任牧師のオリエンテーションが、毎年天城山荘で開催され、三役として参加していた。

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