隠退牧師の徒然記<625>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<625>
2022年2月21日「困難な状況であるが」

聖書の言葉
わたしは、マケドニア経由でそちらへ行きます。マケドニア州を通りますから、たぶんあなたがたのところに滞在し、場合によっては、冬を過ごすことになるかもしれません。
(コリントの信徒への<一>16章5-6節)

スペイン・バルセロナに在住している娘の羊子と孫の義也が、昨年12月20日に一時帰国した。そして2月17日にはバルセロナに戻っていった。世界的にも新型コロナ感染予防対策が厳しい中、今回の帰国はかなり厳しいものであった。12月20日羽田空港に着く予定であったが、変更があり成田空港となる。到着したものの三日間はホテルにて隔離される。ホテルに滞在中、体調管理の報告をしなければならない。感染してないことが判明して外出を赦されることになる。それで我が家の子供、優が成田まで車で迎えに行ったのであった。家に帰宅しても二週間は外出禁止である。毎日、所在の確認が来る。結局、自由になるのはお正月になってからである。約二ヵ月滞在し、2月16日のフライト予約であったが、フライトの変更があり、17日となる。今度は羽田空港からのフライトであり、我ら夫婦も見送りに行ったのであった。久しぶりに羽田空港に行ったのであるが、人が溢れているという思いは打ち消され、静かなフロアーであった。本来なら各フライトのチェックインカウンターは多くの人が並んでいるのであるが、ほとんどまばらでもあった。搭乗まで時間があるので屋上の展望台にも行ってみる。数人を見かけたが、ここもほとんど人がいないのであった。そしていよいよ搭乗であるが、ここもほとんど並ぶ人がなく、あっという間にお別れをしたのであった。そして18日の朝には無事にバルセロナに到着したとの報告を受ける。あちらでは、もはや厳しいチェックもなく、そのまま帰宅できたという。本当に今はフライトの異動は大変なのである。
何回かフライトの経験を持つが、一度だけ苦い思いがある。2011年に我ら夫婦と二番目の子供の星子と三人で羊子の住むバルセロナに向かう。当初は成田空港からスイス航空でチューリヒ経由のフライトであった。しかし、その飛行機がキャンセルとなり、別の便を手配してくれた。別の便は全日空であり、フランクフルト経由であった。実は予約の時点で全日空を希望したのであるが、割高なのでスイス航空にしたのである。変更になり全日空であったので、あまり時間的なことを気にもせずに応じたのであった。ところがフランクフルト経由便は乗り換え時間が1時間くらいしかなく、フライトが遅れたので乗り換えることができなかったのである。それでフランクフルトでは4時間も待つことになる。バルセロナの羊子に連絡するのにも随分と手間をとることになる。そして、バルセロナ空港で手荷物を受け取ろうとすると、手荷物が出てこないのである。結局、乗り換えはできなかったが、手荷物はすぐに乗り換えられて先についていたのであった。
フライトのたびにこのことが思い出され、フライトの乗り換え時間は十分な余裕を持つようにしたのである。それにしても、困難な状況でも、世界のどこへも行かれ…。

f:id:noburahamu2:20220221144624j:plain
娘の羊子と孫の義也がバルセロナに戻るのであるが、飛行機はガラガラで。
f:id:noburahamu2:20220221144817j:plain
空港のどこも人はまばらで。
f:id:noburahamu2:20220221144937j:plain
良く晴れた日で、展望台で満喫し。

noburahamu2.hatenadiary.org