隠退牧師の徒然記<643>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<643>
2022年6月27日「共なる信仰に生きながら」

聖書の言葉
しかし、人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います。(新約聖書コリントの信徒への手紙<一>7章7節)


前週の金曜日になるが、この日の6月24日は日本基督教団創立記念日であった。1941年6月24日に創立総会を開いている。それから今年は81年を経ている。83歳を迎えている私より2年後に設立されたという訳である。その年の1941年12月8日に日米の戦争が始まるので、いわば戦争の時代に日本基督教団が設立されたのであった。その頃、日本国内にはキリスト教の多くの教派が存在していた。そういう中で、「お国が一つになって戦っているのに、わずかの違いで分立するのはよろしくない」ということで、国の指導で一つにさせられたのである。しかし、それと共に信徒の皆さんも一つのキリスト教を進めていたのである。必ずしも強制的な合同と言うことでもない。まあ、いろいろな言い訳があるが、戦争時代であり、キリスト教も国家に協力しながら存立が導かれたということである。そして1945年、日本の敗戦を迎える。それにより合同教会も揺れ動くのである。強制的に合同させられたのであるから、元の教派に戻っていったのである。しかし、せっかく合同したのであるから、このまま合同教会として存立するとして残った教会、それが現在の日本基督教団、合同教会なのである。
私はこの合同教会を選んで信仰生活を始めたのではない。多くの皆さんがそうであるように、たまたま導かれた教会なのである。しかし、もしかしたら私は別の教派に存在したかもしれない。私が不思議な導きのもとに教会の日曜学校に行き始めたことについては、すでに紹介している。その教会は日本基督教団ではない教派であり、小学生の時代は毎週、日曜学校に通ったものである。しかし、中学生になるや、二人の姉が出席していた日本基督教団の教会に出席するようになる。そして、中学、高校生時代を過ごし、この道の人生を歩むようになるのである。小学生時代の延長として中学生になってもその教会に出席していたら、それはそれで別の人生を歩んでいたことであろう。
中学生時代から日本基督教団の中で歩むようになり、単に教団に籍を置くというのではなく、いろいろな職務を与えられながら歩むことになる。組織の中にいると、組織を担う役目があり、教会の牧師の勤めを持ちながらも組織の役目を担わなければならないのである。日本基督教団は全国を17教区に分けている。それぞれの教区は地域の教会として共に歩む組織がある。その神奈川教区の常置委員、宣教部委員長、書記、副議長、議長等を歴任する。15年も諸分野で働かせていただいたが、今度は日本基督教団の働きを担わなければならなくなる。教師委員会の委員を2年間務めた後は教団総会書記の勤めを担うことになる。一期2年であり、四期8年間も担う。隠退して今日までの歩みを顧みたとき、一人の存在として、与えられた賜物を用いることができたことを喜びたい。

神奈川教区総会の会場。
教団書記に選任され、四期8年間担う。

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