隠退牧師の徒然記<654>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<654>
2022年9月12日「いろいろと試行錯誤しながら」

聖書の言葉
始めに、神は天地を創造された。地は混沌であった。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。(創世記1章1-3節)


街を歩けば幼稚園の送迎バスが行き来している。ところどころで幼稚園児がお迎えのバスを待って並んでいる。1980年代の初めの頃の風景である。就任した幼稚園も180名近くも在園していた。全国的に園児が減少し始めるのはこのころである。就任した幼稚園も園舎の4教室と共に、さらに2クラスはホールを仕切って使用していた。そのホールの部分は木造平屋であり、ホールとして使用することであったが、園児を多く受け入れているので教室にもしているのである。イベントがあればホールとしても使用していたのである。ところが私が就任した1979年以降は次第に園児が減少していく。全国的な傾向であったのである。1981年には、今までは全体で六クラスであったが、四クラスとなる。今迄、ホールを使用していたが、もはやその必要がなくなったのであった。今迄は4歳児からの入園であり、園児数が多くて3歳児の受け入れができなかったのであるが、園児減少が後押しをしてくれて、3歳児クラスを開設したのであった。3歳児の受け入れについてはこれまでの希望でもあったのである。
こうして念願の幼稚園の運営を行うようになるのであるが、やはり、なんとかして新しい取り組みがしたいと思っている。いろいろと設備が整っているとしても、さらに取り組みを進めたいのであった。それで思いついたのは他の幼稚園を見学することである。いくつかの幼稚園に交渉し、先生たちと共に見学に訪れたのが二つの幼稚園であった。その見学で参考になり、さっそくいくつかのことを取り入れたのであった。一つは、園舎のホールの中に滑り台を設置することであった。園舎からホールに降りる階段があるが、その階段に滑り台を設置したのである。見学した幼稚園で、やはりホールの部分に滑り台があり、屋内遊びを楽しくさせていたのである。早速取り入れたのであった。しかし、その後、ホールの部分を改築したので幻の滑り台になったが、楽しい場所でもあった。さらに別の幼稚園の取り組みを参考にさせていただいている。歌唱指導である、その幼稚園の園長夫人が声楽家であり、子どもたちに歌唱指導を行っていたのである。確かに、園児たちの歌唱力には賞賛するものであった。早速、この取り組みを取り入れる。関係する教会には声楽家を始め音楽関係者が多数存在していたのである。30年間の在任中、その取り組みは絶えることがなかった。
さらに参考になった取り組みは、園長の園児との触れ合いである。園長は朝の登園のとき、門にたたずんでは子どもたちを迎えている。新しい取り組みは、登園した子供たちが、園長が玄関前で出席簿を広げて座っているので、そこで自分の名前を告げで出席を取るのである。出席を取りながらいくらかのお話をすることができ、良いふれあいである。いろいろな取り組みを試行錯誤しながら進めていたことで、忘れられないことでもある。

昔の幼稚園。平屋建てはホールとして使われていた。
朝の登園で、園長が出席を取っている。いろいろとお話をしながら。

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