隠退牧師の徒然記<656>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<656>
2022年9月26日「本との出会いが与えられ」

聖書の言葉
エスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。(ヨハネによる福音書21章25節)

1979年に教会の牧師に就任するが、同時に幼稚園の園長にも就任する。園長としては、前任の教会幼稚園で一年程度の経験しかない。幼稚園でどのような取り組みをするべきか、そのため他の幼稚園を見学することとし、先生たちと共にいくつかの幼稚園を見学したのであった。その見学の成果が、二階から一階に降りる階段に滑り台を設置することであった。これは子どもたちの大きな喜びであった。さらに歌唱指導の取り組みも見学の成果である。そして、もう一つの見学による取り組みは、子どもたちが本との出会いの場所である。見学した幼稚園では、子どもたちが楽しそうに図書室で本と親しんでいたのである。就任した幼稚園でも図書は置いていた。しかし、そこで子どもたちが本との出会いが与えられるような場ではなかったのである。園舎の一角に図書の置き場を設けていた程度であったのである。そこで本と親しんで過ごす場所ではなかったのである。ぜひ子どもたちが本と親しんでもらいたいのである。そこで図書館建設へと踏み切るのである。そして、1984年には今も佇んでいる「図書館」が完成したのである。夢のある、楽しい空間、その様な図書館になったのである。図書館の中にいるだけでも心が安らぐ、本との出会いが与えられる場になったのである。
  図書館は何よりも子供たちの夢の空間である。しかし、教室以外に活動の場がないお母さんたちにとって、これは嬉しい場となる。図書館ができると同時に「お話しの会」や「手芸の会」等が次々に発足する。父母の会役員会の場でもあるし、いろいろなサークル活動の場にもなる。聖書に親しむ会は前任の園長時代から行われていた。もっぱら教会の集会室で行われていたのである。他のお母さんたちの活動も、何かと教会の集会室で行われている。図書館は毎日、何かの会が使用するようになっている。図書館を利用する限り、正座する必要がある。床には絨毯が敷いてあり、基本的には絨毯に座るのである。聖書に親しむ会でも、正座してお話しをする。随分と足がしびれたものである。このように幼稚園は園舎であり、余分な場がないので、建設した図書館は前記したようにいろいろな活動に用いられるようになる。県の監査時には図書館にすべての資料を持ち込んだものである。そして図書館にはミレーの絵画を掲げていた。教職員旅行で山梨にいき、清里を散策し、その後は山梨美術館に寄る。この美術館にはミレーの絵が常時展示していた。それで、複製画を買い求め、幼稚園の図書館に掲げたのである。しかし、どうもミレーの画は幼稚園の子ども向きではないようである。「晩鐘」「落穂拾い」「種蒔く人」「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」等名画であるが、子ども達には馴染まないかもしれない。多目的な場でもあるので掲げていたのである。
時々、他の幼稚園の方が来られる。図書館の佇まいをご覧になり、絵になる風景ですね、と言われたものである。建物であるから、いずれはなくなるのであるが、ここで過ごした皆さんの憩いの場であり、いつまでも心に示されている場でもある。

楽しい空間、本との出会いが与えられ。
多目的ホールホールとしても。
道路からも絵になる佇まいとして。

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