隠退牧師の徒然記<709>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<709>
2023年10月2日「更生を求める皆さんと」

聖書の言葉
「オネシモは特にわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、愛する兄弟であるはずです。」(フィレモンへの手紙16節)

牧師は神様のお心を人々に示し、平安と希望を与える職務を担う。基本的には教会に集う人々へのメッセージであるが、教会と共にある幼稚園の子どもたちにも示している。さらに前回は教会と関係する施設の皆さんにもキリスト教を示していた。これらは教会と関係することで職務を担うのであるが、キリスト教ではない社会にもその使命を担うのである。八王子医療刑務所教誨師、神奈川医療少年院篤志面接委員の職務を与えられ、キリスト教のメッセージを示していた。共に16年間も職務を担う。もともとこれらの職務を担うようになるのは、保護司の経験があるからである。大塚平安教会に就任後、数年後であるが保護司の勤めを担うことになった。横浜保護観察所の保護司である。保護司は、多くの場合、非行の青少年を導くことである。道に外れたことで、法のお世話になるのであるが、少年院に送られないが保護観察と言うことになる。いつも保護司に生活状態を報告しながら過ごすのである。あるいは少年院を出所するが、しばらくは保護司の観察を受けながら過ごすのである。約5年は職務を担う。どうしても退任の必要を覚えるようになる。保護観察の少年は月に一度は我が家に面接に来るのであるが、ちょうど我が家の子供たちもそれらの少年たちと同じ年齢なのである。実際、面接に来た少年とは顔見知りであったのである。お互いに気まずい思いをするのである。そのようなことがあるので退任したのであった。ところが、それから数年後になるが、知人の牧師が担っていた刑務所と少年院の職務を退任することになり、保護司の経験があったので、それらの職務を担うことになったのである。刑務所の教誨師を担うことになるが、八王子である。綾瀬市に住んでいたが、車で約1時間の距離がある。いつも木曜日に行く。木曜日は朝8時30分からは施設の礼拝である。そして10時30分からは家庭集会である。お昼前に終わるが昼食の提供がある。お集りの皆さんもご持参になるのでご馳走をいただくことになる。刑務所は午後2時からなので1時には家庭集会のお家から出発するのである。午前中は集会が続き、ご馳走をいっぱい食べて車を走らせるとき、当然睡魔に襲われるのである。睡魔と戦いながら運転したこともあるが、しばらく車を停めて仮眠したこともある。刑務所はキリスト教教誨を受ける希望者であるので、皆さんは熱心にお話を聞いてくれるのである。思い出深いのは、刑務所でクリスマスの集いを開いたことである。許可をいただいてカトリックの神父さんと共に礼拝をささげ、第二部ではゲーム等して楽しく過ごしたのであった。このような楽しい集いは経験がないようで、参加の皆さんは大いに喜んでくれたようである。もう一つの神奈川医療少年院は個人面接であり、間もなく刑期が終わる少年と、社会復帰について話し合うのであった。刑務所、少年院で出会った皆さんは、刑期を終えたら教会に行っても良いか、と尋ねられている。もちろん、歓迎すると伝えているが、実現すれば喜ばしいことである。

文に関する写真がないので、我が家の庭に咲く彼岸花、白と赤と。
我が家を訪ねる皆さんに問われる。これは何か。獅子柚子である。

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