隠退牧師の徒然記<712>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<712>
2023年10月23日「子どもの教会を担いながら」

聖書の言葉
「子供たちをわたしのところにこさせなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」(マルコによる福音書10章14節)

前回、教会学校から出発した私の人生を書き始めている。そのため、しばらくは教会学校の関りを記しておこう。昔は日曜学校と称したが、日曜日まで学校との印象であり、一般の学校とは区別する意味で「教会学校」と称するようになった。しかし、それでも「学校」と称しているので、学校ではなく教会である意味合いを強くする。「子どもの教会」と称している教会が多くなっている。名称が異なっても、やはり中身は「教育」なのである。子どもの教会はキリスト教の教育なのである、それは単に教育ではなく、信仰が原点となるのである。教会学校の指導者は、やはり「先生」なのである。子ども達にキリスト教について教えるのであるが、なかなかその務めを担う人が少ない。どちらかというと、洗礼を受けると先生になることを求められるのである。私が洗礼を受けたのは高校三年生の秋である。そして、年があけて4月からは新しい年度になるのであるが、教会学校の建て直しをはかるとき、近々洗礼を受けた青年がいるということで、高校を卒業したばかりの青年に白羽の矢が向けられるのである。洗礼を受けてもキリスト教については知識もないのであるが、教会生活はしているので、それなりに勤めを果たそうとするのであった。もっとも、必ず数年も担っている方が主任として指導するのである。むしろ、先生であるが、見習いとして担うことになる。教会学校の先生になる、これからの人生がいつも教会学校であり、神学校に入れば奉仕教会で教会学校教師として求められるのである。神学生時代は川崎にある教会で二年、その後は荻窪にある教会で三年間、教会学校の教師を担いながら出席していたのである。
神学生として荻窪にある教会に出席するようになる。そこの教会の牧師が、神学校の教授であり、学びのためにも奉仕教会に定めたのであった。川崎の教会の勤めを終え、しばらくは所属教会を定めないことにした。毎週、どこかの教会に出席するようになったのである。いろいろな教会を知るためでもある。従って、その頃は教会学校の先生から解放されることになり、朝早くから教会に行かなくても良いのである。そのような宙ぶらりんの姿が、教授に見つかり、教会が定まっていないなら、という訳で、その教授の教会を奉仕教会としたのである。教授の教会は、教会としての建物ではなく、民家の一間で礼拝がささげられていた。昔は、応接間が別棟のような佇まいの場合がある。応接間を出ると芝生の庭であり、そこは子ども達との遊び場でもある。教会学校は庭で遊びながら過ごすことが多かったのである。そして、その後は礼拝である。礼拝は応接間でもあるので、ソファーに座る。いつの間にか寝ているのである。そのように過ごしたので、教会学校の先生を厭わないで楽しく過ごしたのであった。

教会学校の先生になる。高校を卒業したころ。

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